ヒナギク野のマーティン・ピピン

ヒナギク野のマーティン・ピピン (ファージョン作品集 (5))ヒナギク野のマーティン・ピピン (ファージョン作品集 (5))
エリナー・ファージョン
石井桃子 訳
岩波書店
★★★★


マーティンがお話を聞かせるのは、ジョーン、ジョイス、ジェニファー、ジェイン、ジェシカ、ジョスリン――リンゴ畑の井戸屋形を守っていた乳搾り娘たち――の娘たち。
小さな娘たちは、眠る時間になっても眠りたくない。マーティンとの賭け(?)に勝ったら、これから先ずっと眠らなくてもいいことにする、という約束で、一人の子にひとつづつ、お話を聞かせます。
マレイ川のほとりのヒナギク野。

>マレイ川というのは学校へ行ったことのない者なら、だれでも知っていることだが、サセックス州じゅうでも、また、世界じゅうでも一ばん大きな川だった。
というすてきな出だしで始まる物語ですから、全体に漂う雰囲気はナンセンスな色合いが強くて、かわいらしくてくすくすとおかしい。そして、風刺なんかもちょっとまざっていたりします。どんな風刺かって? うふふ、世界で一番かしこいのは学校に行ったことのないような小さな子ども、ということになりそうな気がします。

六つのお話、それにもうひとつ、合計七つのお話のなかで、お気に入りは、「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」と「ウィルミントンの背高男」

「エルシー・ピドック」はとても有名なお話みたいですが、わたしは始めて読みました。縄跳びする、その縄と足のリズミカルな音の楽しさ、そこに妖精が加担したら、縄跳びの音だって変わるのです。楽しいだけではなくて、それは神秘的な美しさ。そして、人と妖精がともに感嘆せずにはいられないエルシー・ピドックの縄跳びはどんなものだったでしょう。言葉をなくします。縄跳びの音も消えます。

「ウィルミントンの背高男」
村一番のちびすけで、七人のおばさんに世話してもらっているウィルキンがどうして、村一番の背高男になれたのか。訳注に付された「ウィルミントン村の丘に描かれた背高男」とシーフォード近くの「七人姉妹」の、二枚の写真も見もの。これは、サセックス州では有名な光景のようです。ここからこんなへんちくりんなお話が生まれるなんて、なんてすてきなんでしょう。

それから、お話の間にはさまれたマーティンとピピンの掛け合いの間奏曲が楽しい。「さて、おまえさんたちのうち、だれがわたしの子かな」と。
マーティンの子はほんとにいたのかな。そもそも子供たちはほんとにいたのかな。いた?いない? さあ、どっち。学校に行かない、ほんとにかしこい子どもたちに聞いてみたいと思います。