ヘンリ・ライクロフトの私記

ヘンリ・ライクロフトの私記 (岩波文庫)ヘンリ・ライクロフトの私記
ギッシング
平井正穂 訳
岩波文庫
★★★★


人生をかつかつの生活で過ごした文人ヘンリ・ライクロフト。
思わぬ僥倖により、デヴォン州エクセター近くの田舎家を我が家として、その晩年を静かな自省と思索の日々として過ごすことになった、その私記。

気候のこと、風土のこと、やっと持つことができた我が家に対する思い、書物に対する思い、特権階級に憤りつつ、社会主義者になることはできない、と語る・・・
ペシミスティックでストイックで、孤独で――どちらかといえば偏屈なこの人の文章には、正直言って、ときどきいらいらしました。
いつまで、くどくどと、ぶつぶつと、しょうもないことを愚痴愚痴と繰り返しているのか、と(笑)

だけど、ときどき、はっとして、のめりこむように読んでいるときがある。自然豊かなデヴォン州の四季折々の姿を見えるままに描写し、その風景の中に自分がいることを素直に、心から喜んでいる。そんな文章に出会ったとき、新鮮な空気に触れて、深呼吸するような思いでした。

また、庭に対するこだわり。できるだけ手をかけず自然に・・・作られた調和は好みではなく、さりとて、野の草花を庭に移すことも不自然で嫌だ、という庭師泣かせのこだわりは、ほほえましいです。わたしとはまるっきり違うのですが、庭を深く愛する心に共感しました。

そして、本に対する思い。
図書館嫌いで、本は購入するもの、と、ここにも、彼なりのこだわり。図書館派としては、言いたいこともあるのですが、表向きのスタイルではなく、伝わってくるのは、ひたむきに本を愛する気持ちでした。
自分の本棚を見渡しながら「ぼろをまとった巨匠たち」と呼ぶ言葉がすてきで、我が家の貧相な本棚を改めて振り返ってみました。焼けて色のかわってしまった古い本もカバーをなくしてしまった本も、読み込まれて形の変わってしまった本もあるのですが、そこから射してくる光は、いつも明るくて、ああ、わたしの家にも「ぼろをまとった巨匠たち」がおいでだ、と思うのです。(ライクロフトの本棚と私の本棚を比べるのもおこがましいのですけど・・・)

シェイクスピアの「あらし」を読み、シェイクスピアを母国語で読む幸せを感じること。
散歩の途中で見た風景からふとスターンの代表作の一説が頭に浮かび、その本を読みたくて、あわてて家にとって帰したこと。
読書人としての彼はなんてかわいいのでしょう。

こうして、人生の終わりの日々を一日一日、丁寧に静かに過ごすことができるって、それまでの人生がどうであったとしても、なんて幸せな人生、と思うのです。

>私は自分の生涯を、着実に完成された長い一篇の作品――一篇の伝記、欠点が多いかもしれぬが、自分の最善を尽くした伝記、と願わくは、読めることができたら、と思う。そして、私が「終わり」という最後の言葉を吐くとき、やがて来たるべき安息を、ただ心中満足の念のみをもって迎えることができたらと思うのである。