ウォーターランド

ウォーターランド (新潮クレスト・ブックス)ウォーターランド
グレアム・スウィフト
真野泰 訳
新潮クレスト・ブックス
★★★★


語り手トム・クリックは、初老の歴史教師。「いったい歴史(を学ぶこと)に何の意味があるんですか」と生徒は聞く。
今、退職を余儀なくされ、トム・クリックは、最後に歴史の授業をやめて、物語を始めた。
生まれ故郷の沼沢地フェンズについて語り始める。おとぎ話である。
その「おとぎ話」は、フェンズの地理について。伝説について。迷信について。そこに住む人々について。そこで水門番をする父について。母について。祖父について。それぞれの祖先について。また妻について。兄について。若い日の自分自身について。今の自分自身について。

むかしむかし、と語られる物語は、子どもたちよ、と呼びかける言葉は、星と水門について語ることから始まった長い物語は、いったいどこへむかっていくのか。
一人ひとりの人間が、影のなかからうかびあがってくる。ひとりずつ、ひとりずつ。妻であり、父であり、兄であり、隣人であり、その祖先である人々が、名前だけの存在であることをやめて、うかびあがってくる。それぞれに個性を持ち、見た目とは大分ちがっていて、それぞれに生き、それぞれに死んでいく。
彼らは多くの失敗をし、少しの幸せなときを過ごし、愛し、ひみつを持ち、失い、悲しみ、苦しみ、そして、死んでいく。

それは、たぶん大きな歴史の流れと変らないのではないか。人の一生の重さと、何億年分かの歴史の重さは、天秤に載せたら吊り合うような気がします。そして、歴史にも人生にも等しくこもる「悲しみ」
歴史は繰り返す。同じ過ちを何度でも。それでも人は違った未来を思い描く。
人の一生もそんなものなのかもしれない。そして、そこから逃れようともがく。
それを見つめると悲しみに行きつく・・・・・・人々を囲むのはフェンズの水。水に始まって水に終わる物語です。
水は静かに、形を変えつつ、いつもそこにある。黙ってずっと人々を見ています。それは優しさではありません。人とは別の次元にあるかのような冷静さ。ときに暴れ、時に命を奪い・・・でも、水は、人々の歴史に加担しません。ただ見つめているのです。
水と人々。水と歴史。それは静と動。このバランス。

>「そういうことを歴史が生徒たちに教えるのさ──やがて君たちは君たちの親のようになる、とね。けれども、子供が自分の親のようになるとき、親のようになるまいともがいてくれたら。そう努力してくれたら(これでわかるだろう、プライス。なぜ、生徒は教師に抵抗しなければいけないか。なぜ、若者は年寄を疑ってかからなければいけないか)。そう努力することで、状況がずるずると悪化するのを食いとめてくれたら。世界がこれ以上悪くなることを許さないでくれたら──?」
そして、歴史と人の生き方が似ているなら・・・歴史を学ぶ意味は人が生きる意味を探すことに通じるのではないでしょうか。
一人の人間の人生のなかで、何度も何度も繰りかえしやってくる失意や苦しみ。それでも何度でもやり直す。長い時間をかけて、今度はもっとうまくやろう、と立ち上がる。思えば、体の中を満たしているのは水じゃないか。

重厚で(実際ページ数も多い^^)難しい本でした。――でも、そんなふうに私は、この本を読みました。