たそかれ

たそかれ 不知の物語 (福音館創作童話シリーズ)たそかれ 不知の物語
朽木祥
福音館書店
★★★★


一作目の「かはたれ」から人間の時間で四年がたちました。
家族のもとで暮らす八寸に、新たな使命が与えられました。ある中学校の取り壊し直前のプールに一人で暮らす河童不知を連れ戻すようにと。

月の光を浴びて、言葉に魔法がかかったように、美しい言葉がするすると本から流れ出してくるようでした。うっとりして、久しぶりに河童の世界のお客にしてもらいました。
四年後の八寸と麻。久しぶり。わたしは二年ぶりの再会でした。
二人とも元気で、あの切々とした寂しさは、二人のなかにはもうありませんでした。他の人の幸せを考えるところまで成長した二人でした。
一人ぼっちで、プールに棲む不知の気持ちは、八寸にも麻にも痛いほどにわかることでした。

物語の底を静かに戦争の記憶が流れていきます。決して強い言葉ではなく、むしろ控えめに、あまりに静かな言葉でそれは語られます。その静けさのせいでしょうか、痛みや憎しみより、ただただ深い悲しみがひたひたとのぼってくるのを感じます。そして、いっぱいになって、物語が見えてくるころには涙がただあふれてきました。
愛する人を失うことも帰るか帰らないかわからない人を待つことも、それはただただ悲しいことでした。

沢山の悲しみ、沢山の寂しさが、静かに静かに語られます。
そんななかで心に残るのは河井くんのことばです。

>人の心が悲しみや苦しみでいっぱいになってしまうと、音楽や絵や物語の入り込む余地はなくなってしまう。だけど、心はそのまま凍ってしまうわけではない。人の心の深いところには、不思議な力があるからだ。何かの拍子に、悲しみや苦しみのひとつが席をはずすと、例えば音楽は、いともたやすくその席にすべりこむ。そっとすべりこんできた感動は、心の中の居場所をひそやかに広げて、まだ居座っている悲しみや苦しみを次第にどこかに収めてしまう。
お母さんが亡くなっても、麻にはおかあさんの「物語」が残りましたし、八寸が消えた後、麻の心のなかに開いた穴を埋めたのは思いをこめて八寸の絵を描くことでした。いじめられていた河井くんがまっすぐに育ち、上記の言葉をいえるほどに成長できたのも、ピアノがあったからでした。
そして、そういう心をもっていることこそ、河童が見える目を持っていること、なのかもしれません。

チェスは年をとりました。
「いつかまた」がある八寸と麻の話のつづきを夢見ますが、その風景のなかにチェスはもういないのですね、きっと。チェスタトン、愛しいです。八寸とチェスの別れの場面が心に残ります。

そうそう、書き忘れるところでした。
ほーっとして閉じた本の裏表紙の絵! 翅の欠けた蝶とんぼの絵なんです。ここに来て、特別に温かい気持ちにしてくれた画家山内ふじ江さんの計らいに深く深く感謝です。