琥珀捕り

琥珀捕り (海外文学セレクション)琥珀捕り
キアラン・カーソン
栩木伸明 訳
東京創元社
★★★★★


どんな文学のジャンルにも該当しない、不思議なめくるめくこの本をどう分類したらいいのか。
訳者あとがきによれば、困りはてた書評家は
「文学においてカモノハシに相当するもの――分類不可能にして興味をひきつけずにいられない驚異――の卵を孵化させた」
と書いたそうです。


私事ですが、子どもの頃、平凡社の22巻物の百科事典が家にありました。
暇なときにこれらのなかのどれでも一冊抜き出して、ぱっと開いた項目の長い説明を読むのが好きでした。
そのものずばりの意味、歴史、それにまつわる物語や、写真、絵などが添えられて、辞書などよりはるかに詳しくて、
お話の本を読んでいるようなおもしろさ、充実感だったのです。
あのずっしりとした重たさ。どっこいしょ、とひざの上に広げた感触がよみがえってきました。
あの子どものときの百科事典読みの楽しさに似たおもしろさをこの本に感じます。
同じように百科事典を楽しんだ人、きっといると思います。
そして、そういう人はきっとこの「琥珀捕り」も気に入られることでしょう。


不思議な本です。アルファベット26文字から始まる単語を各章の章題として、二十六章。
物語(?)はオランダへとび、アイルランドへ飛び、ドイツへ飛び・・・その話題たるや、
文学、歴史、言語学、美術、化学、地学、工学、魔術、航海術、・・・を網羅し、その薀蓄はどれも興味深く、細やかで、
その文章は美しい。
いや、単に字面が美しいのではなくて、
語る内容にしたがって、格調高くもあり、親しげでもあり、蓮っ葉でもあり・・・なのです。
それから、あちこちにちりばめられた沢山の民話や神話。アイルランドギリシア、ローマ。民話風創作の物語も。


読んでいると少しずつ気がついてきます。
各章は、全く違うことがとりとめもなく語られているようで、巧妙にリンクします。
物語は、大きな入れ子になり、あるいは、小さな扉と扉でつながり、
「あれ、この単語は前にどこかで聞いたことがあるぞ」という小さな鍵を落としていく。
それを拾うことができるかできないか。それは読者の自由。
一番大きなヒントはタイトルにもなっている「琥珀捕り」・・・大きな琥珀や小さな琥珀をわたしたちはさがす旅をします。
そして、実は琥珀だけではなくて、潜水艦とか麦角とか・・・ごにょごにょ・・・


一章の始まりを飾る父さんのお話。
やがて、ここから冒険王ジャックの話も始まるのでしょうが、ここではまだほんの物語の枕。
むかしむかし・・・で始まる様々な物語。

>夏になると、オランダの少年たちはいっせいに木靴を脱いで、その靴に小さな紙の帆を貼り、雲を映す浅い池に浮かべて、海戦ごっこをしたもんさ。
続き続き、つづきを聞かせてよ、といいたくなる、
こんな物語の片端をちりばめながら、大きな物語(大きな本の中の小さな章)の中にわたし達は導かれていくのでした。
こんなふうに始まる本がはずれのはずないな、と思いながら。
一番すきなのは、なんといっても冒険王ジャックの語る物語。
いっぺんに出てこないで、続き物語のように、一話一話きれぎれに、しかも突然現れるのがいいです。
それから、とてつもないチューリップの球根の話、それから、贋作画家の話。
大法螺話かと疑いたくなる見事なこれらの逸話、史実、なんですよね?


だけど、あまりにおいしいものがたくさん詰まっているので一遍に読むことはできません。
正直、一章読むとほーっと満足し、同時にどっと疲れてしまうのです。
たった十数ページしかない一章のなかに何が詰まっているのか。
この読み心地は説明できません。読んでみなければわからないかもしれません。
解説の柴田元幸さんの言葉ではないけれど、
「全二十六章、一晩一章くらいのペースでじっくり味わいたい訳書」というのが本当にぴったり。
本全体が大人の(ジャンルを越えた)お伽噺、と言えるかもしれません。


しかも最後に・・・
とりとめのなかったはずの物語がこんなふうに繋がって大きな箱(?)の中におさまってしまったことに驚きます

>「残像」とは、網膜上にふっとあらわれて消えた映像が、それが視野から消えた後に瞬時のあいだだけ脳に保存される現象のことである。したがって、この現象は一種の不随意な記憶である。もう一方の「ファイ現象」とは、静止映像がすばやく連続してあらわれるとき、それらがつながって動いているように見える現象である。
確信犯? なんだか作者の手の上でいいように遊ばされちゃいました。
だけど、あまりに見事すぎて、文句のいいようもない、というより、まだまだ全体像がすっかりつかめていません。
まだ半分策に嵌っている感じ。心から恐れいっています。
(たとえば・・・たとえば、ですよ。
多数の絵が、どうやらぱらぱら漫画らしい、と気がついたものの、まだ動き出すまでに至っていない、というところです。
これだけわかっただけでも充分圧倒され、充分満足していますが、まだまだ。
動くものなら動かしたい、と思うのが人情ですよね?)
おそるべし、カモノハシ文学。
これは手許に欲しい。
そして、今度読むときには、もっともっとゆっくりゆっくり細部の「あーいうものたち」に気をつけて、一章一章味わい倒したい。
ぱらぱら漫画が駆け出すまで(笑)