放課後―写真短歌部―

写真短歌部 放課後写真短歌部 放課後
加藤千恵 短歌
タクマクニヒロ 写真
雷鳥社
★★★★★


>迷いながらぶつかりながら揺れながら
 過ごした日々をいとしく思う

校庭の隅の木立を背にして忘れられたバスケットゴールがひとつ。
広い階段の踊り場の高い窓から差し込む日差し。
砂と石灰で白くなったビールケースに無造作にさしてある野球のバット。
教室の机の上に逆さに乗った椅子。
黒板は何度も綺麗に消されているけど、黄色っぽいのがいつも使っているいつもらしさ。
放課後の教室の窓から見える空だ、ほんのりと縁が朱色に変りつつあるあの雲は。
・・・・・・
見覚えのある写真は、どれも、昔見ていた光景。紺サージの重いスカートをはいて・・・
少しずつ昔とは違っているはずの学校だけど、流れる空気は変っていないんだなあ。
懐かしくで、鬱陶しくて、緊張感があって、半分よそよそしい空気、で、やっぱり懐かしい。ずいぶん長いことあそこにいたんだもの・・・


そして、そこに、ミソヒトモジが添えられる。
ミソヒトモジのなかには、百語、千語、一千万語でも足りないほどの心がつまっていて、なつかしくて、なつかしくて、胸がぎゅうっと痛くなる。
これは学校。学校の独特のにおいなのだ。
いいもわるいも、嬉しいも悲しいも、切ないも悔しいも、寂しいも怖いも、楽しいも・・・どれも学校と言う枠のなかでは、独特の額縁に入って独特の匂いになる。その匂いが全部つまったミソヒトモジ。

>ありえないほと笑ってる放課後を
 いつまで覚えていられるのかな


>床の冷たさが伝わる
 退屈な話を体育座りで聞いてる


>意味なんてなくてもいいの
退屈な授業の合間に回す手紙に


>沈黙もはみ出すことも怖いから
 休み時間はいっぱい笑う


>新しい席は窓から遠いから
 余計なことを思ってばかり


>水玉のペンケースだし手帳だし
 せめて今日だけ泣かずにいたい


>こんなにも校歌をまじめに歌うのは
 最初で最後のような気がする

ここにあるのは、大人が「かけがえのない日」と振り返って感傷的に描いた日々ではない。
ざらっとした学校の、学校生活の手触り肌触りがそのまま、伝わってくる。
こういうことが日常的で当たり前だった日々があった。だけど、年月がたってしまえば、それは、かなり特殊な世界だったと振り返る。
そういう意味でのなつかしさが、そこにある。学校。
そして、泣いても笑っても、苦々しく黙り込んでも、それはやっぱり自分の人生の中のかけがえのない日々だった。

旅立ちの歌が、校舎の上の広い空に吸い込まれるように終わっているのが良いです。不安と希望を胸に凛々しく。