トゥルー・ビリーヴァー

トゥルー・ビリーヴァー (SUPER!YA)トゥルー・ビリーヴァー (SUPER!YA)
ヴァージニア・ユウワー・ウルフ
こだまともこ 訳
小学館
★★★★


一作目「レモネードを作ろう」に続く三部作の二作目です。
「レモネードを作ろう」のジョリーとの日々から一年。ラヴォーンの日々は、順調そうに見えます。
でも、少しずつ、変っていたのでした。
親友二人はいつのまにか新興宗教にのめりこみ、ラヴォーンは、大学進学を目指し新しい授業をとったり、大学資金を貯めるために小児病院で新しいアルバイトをさがす。
ティーンエイジャーらしい母へのいらだち。(その一方、信頼も愛情もある。母の生き方を受け入れてもいる)
そして、恋・・・初恋。この恋の行方を中心にして、おもに人との関係で、ラヴォーンは悩むことになるのです。

最初、読み始めたとき、一作目に比べて、散漫な印象を受けました。ぱさぱさといろいろなことが起こっているような起こっていないような・・・
しかし、「気にしないでおこう」と思うくらいの小さな痛みが、少しずつ蓄積されて、一気にあちらからこちらから火を噴くようにあふれだしてきました。
ラヴォーンが愛しいと思うのは、決して迎合しないこと。そちらにいったら、もしかしたら何もかも楽になれるのかな、と揺れても、納得できない方向には傷ついても痛くても、顔を向けることができないこと。
ある意味、微笑ましいともとれないことのない苦しみなのですが、15歳なんですよね。

打ちのめされた15歳は、立ち上がらなくては話になりません。彼女に力を貸したものはなんだったのか。
最後の場面のわき立つような喜び。
散漫な印象だなんて、とんでもなかった。さまざまな喪失が散らされた文章の間に、さまざまな希望の種もいつのまにか撒かれ、少しずつ育っていたのでした。
ラヴォーンの誠実な日々。そして、そのように育てたお母さん。こうした日々の生活のリズムが、彼女を鍛え上げ、磨きあげたのでした。

「トゥルー・ビリーヴァー」ってどういうことでしょう。本当の? 信じる者? まるで謎。その意味がわかるのは最後のほう。何もかもが不確かな現代だから、そして、ティーンエイジャーたちが直面する無視できない問題のひとつだからこそ、作者は、こういうテーマもまたとりあげたのでしょう。
ラヴォーンがとびこんだ教会の牧師さんの言葉。
「もし、地獄があるとしたら、
それは、わたしたちがおたがいを愛せなくなったときのことです」
最近読了した北村薫の「玻璃の天」のなかでひとりの建築家が言った言葉が重なります。「。「《私よりも、異教徒一人の命の方が、よほど大切なのだ》と説く神がいたら(中略)その時こそ、俺は神の前に跪くね」

ラヴォーンの勤勉さに打たれます。
住んでいる場所は、犯罪と隣あわせのスラムです。通っているのは発砲事件がめずらしくない学校です。
ここから大学をめざします。アルバイトをしてお金を貯めて、一生懸命勉強します。目標があるからがんばれるのです。
ラヴォーンの姿には教えられるものがあります。ラヴォーンとその仲間。彼らを見ていると素直に「学びたい」という気持ちがわいてくるのです。
そして、そういう学生達を支援する教師たちのチームワークも素晴らしいと思いました。

>この学校には、真面目な生徒が何人かいるわ。
勇敢で、しっかり将来を見つめている生徒が。
こんなひどい環境に住んでいるのに――
わたしたちはね、あなたたちを失いたくないの。ただのひとりだって。
たったひとりだって、落ちこぼれさせるわけにはいかないのよ。
「大学に行く」という目的を持っていたラヴォーンの、もっとはっきりした進路がみえてきました。ころんで傷ついて、いろいろな人々とかかわりながら、みつけた進路です。
三作目で、この道をどのように辿っていくのか、ラヴォーンの未来が気になります。
それから、「レモネードを作ろう」からずっと細くですが、続いているジョリーとの関係。ジョリー一家のこれからのことも、気になります。新しい仲間たちとの間に芽生え始めた友情も。