華氏451度

華氏451度 (ハヤカワ文庫SF)華氏451度
レイ・ブラッドベリ
宇野利泰 訳
ハヤカワ文庫
★★★★


華氏451度(=摂氏233度)は、紙が自然発火する温度だそうです。
「本」が忌むべき禁制品になっている未来の世界。本を隠し持つことは犯罪であり、見つかり次第、焚書官によって焼き払われ、持ち主は罰を受けた。
人々は耳にはめ込んだ小型ラジオや巨大スクリーンのテレビにおぼれ、スピードのあるゲームを楽しんでいた。

描かれるのは極端な世界です。本のない世界が、人間をどんなにおぞましいものに変えていくことか、嫌ってほどに突きつけられます。
そして、笑うに笑えない現実。
佐野眞一の解説にも書かれていましたが、わたしもわたしたちをとりまく環境を思い浮かべてぞっとしたのです。
ここまで極端じゃないけど、似ている。本に取って代わろうとするエキセントリックなさまざまな娯楽は、人の心を疲れさせ、一瞬現実を忘れさせる刹那的なものばかりではないか。そして、聞きたくもない音楽は町の中どこにもかしこにも溢れているのです。

>ぼくたちが幸福でいられるために必要なものは、ひとつとして欠いていません。それでいて、ちっとも幸福になれずにいます。それには、なにかが欠けているにちがいありません。考えて見ますに、ぼくたちの手からなくなったものといえば、この十年か十二年のあいだ、ぼくたちの手で焼きつづけてきた書物だけです。
本とは一体なんでしょう。
なぜ本が大切なのか、フェイバー教授がモンターグに語る。
>第一に大切なのは、われわれの知識が、ものの本質をつかむこと。第二には、それを消化するだけの閑暇をもつこと。そして第三には、最初の両者の相互作用から学びとったものに基礎をおいて、正しい行動に出ることにある。
本は、もちろん単に物ではない。主人公モンターグの前に現れた少女クラリス。最初に出てきて、すぐに消えてしまった彼女の姿がずっとモンターグの心を捉えて離さないように、本は心、精神、なによりも叡智。
描かれる社会が極端であればあるほど、ブラッドベリの強い怒りが感じられるのです。「だれに人の心を、精神を、禁止する権利があるのか、焼き払う権利があるのか!」と。

本、なくなったら困るのよ、なんて生易しい世界ではない。
だけど、最後に希望が現れる。草のように、あちらからこちらから荒廃した土から芽を出す機会を静かに待っています。

>人間である以上、死ぬときはかならず、あとになにかをのこしておくべきだ。子供をひとり、本を一冊、絵を一枚、家を一軒、築いた塀をひとつ、あるいはまた、こしらえた靴を一足。それでなければ、自分の手で丹精した庭園、なんでもよろしい。なにかの意味で、自分の手の触れたものをのこしておかねばならぬ。それによって、たとえ死んでも、たましいが迷うことはない。
わたしたちはいずれ死ぬでしょう。でも本が残るなら、心が、叡智が残るのです。わたし達が親から受け継いだ心が。わたしたちの子どもたちのもとに。
本はなくならない。
決して決してなくならない。なくさない。