思い出のアンネ・フランク

思い出のアンネ・フランク (文春文庫)
ミープ・ヒース
アリスン・レスリー・ゴールド(共著)
深町眞理子 訳
文春文庫
★★★★


・・・特に意識したわけではないのですが、今年は、「夜と霧」再読に始まって、ホロコースト文学にめぐり合う年のようです。
残虐非道、そして、下劣。目をそむけたくなるほどの残酷さと賎しさが満ち満ちた記録を読みながら、
その裏返しのように、あるいは補色のように、人間の崇高さがきらり輝き出てくるのを感じ続ける読書です。
人としての下劣のきわみを見せ付けられるにつけ、
それよりも、その中から逆説のように人としての崇高さ、極限状態でここまで高みを極められる、という姿が、必ず見られ、
そこに圧倒され、感動しないではいられないのです。


ミープ・ヒース。
ナチに占領されたオランダ、アムステルダムで、フランク一家をはじめとするユダヤ人たちを友人として命をかけて匿い、
その生活を支援してきた人たちのひとりです。
彼女は自分の体験を語ることを最初、拒みました。
自分は特別な人間ではない、「よきオランダ人」がみんなやっていたことを自分もまたしていたにすぎない、との理由から。
編集者A・L・ゴールド(この本の共著者ということになっている)の再三の説得、
当時を知るもののほとんどがすでに死亡していることなどから、承諾。
一年4ヶ月、計5回のミープとヘンク夫妻へのインタビューに答える形でこの本は作られました。


自分ひとりが生き延びるだけでも大変な時代に、
友人達を匿い、食料や日用品、ニュースを供給、励まし続けたミープとその仲間たちのその精神の崇高さ、強靭さに、打たれました。
大多数のオランダ人が人種的な偏見をもっていなかった、
オランダの子どもたちは、幼いうちから友情をうらぎらないことを覚える、などの記述から、
オランダ人(ミープはもともとオーストリア人でしたが)の一人として、彼女の自国への愛、国民性への誇りを感じました。
(わたし達の同胞に「日本人なら当然やることですよ」と何かに胸を張れることがあるでしょうか。ないとしたらあまりに寂しすぎます)
フランク一家はじめ隠れ家の8人のユダヤ人(それから、たぶんオランダ中あちこちの隠れ家に暮らすユダヤ人たち)は、
多くの友人達に守られていました。
ミープたちの直接的な支援、
そして、そのミープたちに、おそらくは誰かをかくまっているに違いないと思いながらも黙って余分の肉や野菜を供給してくれた肉屋さん、八百屋さん・・・
かげながらのたくさんの有形無形の励まし。
小さな良心と勇気がバトンのように受け渡されていたのだ、と思うとその誠意の多重構造に感動せずにはいられないのです。


心痛むのは、助けを求める他の人たちを助けられなかったこと、すがるような訴えの顔に目を背けるしかなかったことを語る言葉。
ヒース夫妻は、フランク一家たち8人のほか、さまざまな形で、迫害される人々の支援をしていました。
ひとりの人間が誠心誠意働きながら、その力の限界がある。
なんとかしてあげたいと思いながら目を伏せるしかないその気持ちを思うと何もいえなくなってしまうのです。


そして、ヒース夫妻にとって、決して忘れることのできない8月のあの日がくる。


そして、アンネの日記を一文も読むことなく机の引き出しに隠してミープは待ちました。
帰ってきたアンネ本人にこの書類をそっくりそのまま手渡す日を。
ついにその日は永遠に訪れることがない、ということを知ったときは・・・最初からわかっていたはずのわたしなのに、辛かった。
フランク氏に「読んでみてほしい」と言われながら再三断り続けたその日記をとうとう読んだ日のミープの感動が、
私の中に熱く注ぎ込まれてきました。在りし日のアンネの瑞々しい言葉が、アンネの肉声が、あふれるようなその日記。
涙があふれてくる。
そしてまるでぎゅうっと搾り出すようなミープさんの言葉・・・

>あの人たちのことを悲しまずに過ぎる日は一日とてない。
プロローグのなかでミープ・ヒースは
「それらをこれほどまでにこまごまと記憶によみがえらせるのは、在る意味で苦痛でもあった。歳月がたっても、その苦痛はけっして軽くなりはしない」
と書いています。
ミープさんの苦しみは、行間から伝わってきます。
一言一言が血を吐くように語られたのではないか、と感じられる箇所がたくさんありました。
それでも、そうまでしても、語ってくれたことに感謝します。
>わたしはヒーローではない。たんに、あの暗い、恐ろしい時代に、わたしと同じようなことをした、あるいは、もっと多くの―はるかに多くの―ことをした良きオランダ人たちの、長い、長い列の端に連なっているにすぎない。
・・・もし、ミープがヒーローでないならば、この世にヒーローなんていない。
いなくていい。
ヒーローではなくて、あたりまえに普通に、恐ろしい時代を生き延びた人たちと生き延びさせた人たちと手をとりあった人たち・・・
彼らが、ほんとに普通の人たちだったのだ、というならば、わたしたちは普通の人たちにこそ学ぶべきことがある。
そのふつうの気高さにこそ。