ツバメ号とアマゾン号

ツバメ号とアマゾン号 (アーサー・ランサム全集 (1))ツバメ号とアマゾン号 (アーサー・ランサム全集 (1))
アーサー・ランサム
神宮輝夫 訳
★★★★★(ほんとは★100個つけても足りない)


再読です。
大好きな本ですが、ずいぶんたくさんのことを忘れていることに気がつきました。子どもたち 船員たちの名前さえも忘れていた、それどころか、ツバメ号の乗組員が何人いたのかさえ、きれいに忘れていた、というテイタラクです。だけど、読み始めれば、ちゃんとあの冒険の夏が蘇ってくるのです。
でも、もう忘れないように、ちょっとメモ書き。
ツバメ号   船長 ジョン・ウォーカー
         航海士 スーザン・ウォーカー
         AB船員 ティティ・ウォーカー
         ボーイ ロジャ・ウォーカー
         ボーイ見習い ぱせり ←ひえ、ごめんなさい。勝手に付け足しちゃいました〜。
◎アマゾン号 船長 ナンシイ・ブラケット
         航海士 ペギイ・ブラケット


この物語、ひらたく言えばごっこ遊びなのです。
しかも、究極のごっこ遊び。極上のごっこ遊びなのです。
とはいえ、彼らにとっては「ほんとうのこと」なのだと思います。少しばかりの「現実」(私などから見たら羨ましすぎるくらいの現実ですが)に、たくさんの「空想」をよく混ぜ合わせて作った「ほんとうのこと」なのです。
子どもたちだけでヨットを操り、湖に浮かぶ島でキャンプ生活。(ここは羨ましい現実^^)
そこで、彼らはロビンフッドになり、海賊と戦い、探検し、宝物を発見し、輝く夏をすごします。(ここは空想)
二つのヨットの乗組員たちのヨット争奪戦(子どもたちなりの清清しい暗黙のルール、競争相手(あるときは敵)への敬意に感動してしまいます。)
何よりも何よりも、あのヨットを、この子たちったら、まるで自転車を乗り回すように乗り回しているんですよね。ため息。
そして、ひたすらに心も体も風のようになって、思う存分に遊ぶのです。遊ぶ!
自分たちの持てる能力のすべてと想像力のすべてをこの遊びに捧げ、遊びきる輝かしい夏・・・詳しく書いたらもったいない。


見せ場はたくさんあるのですが、忘れられない場面をひとつ、というならば、ツバメ号のみんなの前に初めてアマゾン号が姿を見せた瞬間、をわたしは上げます。
「ちょうどそのとき、一枚帆の小さな帆船が、岬のうしろからとび出してきた」から始まる一幕。
はっと息を呑むような鮮やかさ、軽やかさ。からだがぐんと軽くなり、風をはらんでさあっと水の上をすべていくような爽快感がたまりません。


この子たちを見守る土人――つまり大人たちが素晴らしいです。
まず、ウォーカー家の両親です。
この物語には出てこないおとうさんは、ヨット「ツバメ号」で湖に乗り出すことと島でのキャンプ生活に、電報で許可を与えます。その電報に書かれていたことばは「オボレロノロマハノロマデナケレバオボレナイ」(=溺れろノロマは。ノロマでなければ溺れない)でした。おとうさんのいたずらっぽい笑顔が思い浮かぶ。登場しないおとうさんにとっても会いたくなる。
そして、おかあさん。(一番よい土人、と言われていますが、)実はこのおかあさんがほんとに一番素敵なのです。みんなに尊敬されるおかあさんは、子供時代に充分に冒険して大きくなった人と思われます。小さなことには動じないし、あからさまに心配を口にしません。やさしいけどかっこいいのです。
とびきりすてきなフリント船長や温かいディクソン農場のご夫婦ももちろん大切なのですが、なんといってもおかあさん。子供の本の中に出てくる様々なお母さん達の中でも、トップクラスのすてきさだと思う。こんなおかあさんを持ったウォーカー兄弟、かなり運がいい。


物語の終りは夏の終り。キャンプファイアを囲みながら来年の計画を立てる子どもたちに、名残り惜しい気持ちでいっぱいになります。
この子達も、秋になれば学校に戻るのです。
きっときついネクタイやベルト、革靴に締め付けられて、石造りの建物に囲まれた町で過ごすのです。学校時代ならではの避けられない悩みに追いかけられたりもするのでしょう。
だからこそ、心も体も解放し、全力で遊びきる夏の素晴らしさがたまりません。


そんなこんなで、この夏、わたしはランサム全集再読の旅に出ることにしました。
いざラム酒の樽を叩き割れ。全員乗船! 風に帆を張って、そーら、出航。