われらが歌う時

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われらが歌う時 下
リチャード・パワーズ
高吉一郎 訳
新潮社
★★★★★


苦いとか痛いとか憤りまで通り越して、アメリカの真暗で深い人種差別の描写に、なんと言葉を添えていいのか、ただただ重くて。
これはもう「差別」なんて一言で言えるものではない。今まで読んだどんな人種差別に関する本も、この本に比べたら甘かった。そして、そこに生きる人たちの思いをここまで突き詰めて書いた本も初めてでした。この本のなかの一言一言に対して、わたしは一言だって「わかる」と言うことができない。そんなに簡単にわかることができない。それこそ傲慢。
それがアメリカと言う国でした。それがアメリカと言う国の「今」なのだろう。だれもここまで深くは語らなかった「今」

最高裁には黒人の判事が選ばれた。しかし、残りの黒人たちは刑務所にいるか、炎上する都市に閉じ込められているか、アジアの熱帯雨林の奥で殺されている。
そのアメリカで、亡命ユダヤ人の物理学者と黒人の歌手の卵の娘が恋に落ちて結婚する。
彼らに生まれた混血の三人の子どもたち。
この二つの世代の物語が、交互にゆっくりと語られていく。
彼らの行く手を阻む、この国の暗い歴史と現実。
若い両親の理想。子どもたちの未来に託す夢。
>彼女は子供たちに誰の曲でもない曲をあたえることができる。人種の範疇よりも分厚い曲。世界に一つしかない曲。ちまたで手に入るよりももっと強力な自我。呼吸するように歌を歌えと励まそう。彼らの祖先の歌を何もかも自然に歌えるように育て上げよう。
その夢を踏みにじり、冷笑するような事件が次々に起こる。現実に起こったアメリカの事件。アメリカの裁き。これが自由の国の実態でした。

不器用な父親が語る物理学的な『今』の定義。繋がる時間の物語。
そして、すべてを忘れ去るような天界の音楽。子どもたちの天賦の才能。
・・・そんなものがなんの役にたつのか。と投げだす。

>変える!いまだに音楽に癒してもらおうと思ってるの? バッハ? モーツァルト? ナチだって好きだったのよ。音楽は誰も癒したりはしないの。
音楽が人を救うか、物理学の理論が人を救うか。
圧倒するような怒りのパワーが幻想を打ちのめす。地面に顔を擦り付けられるような思い。理想を夢見ることを傲慢だとあざ笑われる。
傲慢だ、傲慢だ、おまえは傲慢だ、と何度も本のなかから指差されるような気がして、打ちのめされた。

読むことが辛かった。でもやめてしまうこともできなかった。
長い長い時間をかけてやっと読み終えた。読み終えたのです。
手放さないでよかった。最後まで読んでよかった。
だけど、わたしたちはどこに連れてこられたのだろう。
音楽も物理学も宙にういた理想論にすぎなかったのではなかったのか?・・・いや、そうではない。
何と長い旅をしてきたのだろう。でも、それは旅だったのだろうか。
ぐるりと回ってもとにもどってきたわけではないのだ、と思う。すでにそこには別の高次元がみえる。そして、それは、ずっとずっといつもいつも変わらずぶれず、そこにあった。ずーっとあったのだ。これからもきっとある。あり続ける。

ある人種の話ではなかった。ひとりの人間の人生の話でもなかった。

>私たちが恐れているのは差異ではない。私たちを何よりも脅かすのは類似の中に自分を失ってしまうことだ。いかなる人種もそれだけには勝てない。
いくつもいくつも重層的に重なっていく『今』・・・
それは、『時間』と『人間』の勝利の物語。なんと高いところまで連れてこられたことだろう。そして、ここで、初めて天井から聞こえる歌声に素直に体をゆだねるのです。