ぼくだけの山の家

ぼくだけの山の家ぼくだけの山の家
ジーン・クレイグヘッド・ジョー
茅野美ど里 訳
偕成社
★★★★


ニューヨークの町育ちの少年が、森の中へ家出して、一年間過ごす。
「自分ひとりの力でやってみる」というサムに、「男の子ならいちどはやってみるべきだ」と笑って送り出すおとうさんも素敵です。
サムがむかったのは、キャッツキル山脈の森。
ナチュラリストの作者が描く山の生活は、実際的で、しかも半端じゃない。
大木のうろを燃やして広げて家にする。
相棒ハヤブサ「フライトフル」は、雛から飼いならして狩のやり方を教えた。
枝と紐で釣り針をつくり、魚を釣る。火打ち石で火を熾す。
鹿の皮をはいで、なめして、服や靴も作る。
植物や動物から作る保存食。
・・・・・・もっともっとたくさんのサバイバル知識が、ときに図解しながら詳しく説明されていたりもします。


ときどき訪れるお客様もすてきです。
いたずらで気まぐれなイタチやアライグマ、音もなく飛ぶアメリワシミミズク
そして、道に迷った人間達。特にバンドウがすてき。彼がサムのことを「森の生活」にちなんで「ソロー」と呼ぶのもよかった。
森のクリスマスは、深い森ならではの美しさ。
無言の世界での、ハヤブサのフライトフルとの心の通い合いへの憧れ。


しかし、最初からなにもかもうまくいくわけがないのです。さまざまな試行錯誤、さまざまな失敗を経て、生活上手になります。狡猾にもなります。(密猟者の獲物を横取りしたり)
動物との友情。満ち足りた生活と、一抹の寂しさ。
少年はひとりの生活のなかで、さまざまなことを考え、確実に成長します。
自分が、何者なのか、何者でいたいのか、考え始めます。


こういうことを町育ちの少年に可能か、などとは子どもは言いません。そういう方法があるのだ、そして、方法が在る、と言うことは確実にできるのだ、と憧れるのです。
だから、わたしも大人をやめて子どもに戻って読むのです。こういうことを簡単にさせてくれる本は素敵です。
こんな生活に憧れない子どもがいるでしょうか。
作者献辞の言葉の一部に書かれた「・・・大人や少年少女のなかに息づく、サム・グリブリーのような心のかけらに」に頷きます。子どもたち(と、嘗て子どもだったものたち)の中にサムへの憧れが宿っているのです。
夢をかなえてくれたサムはヒーローです。
サムの生活を失敗も含めてすべて享受したい、さらに自分だったら、そこに何を付け加えようか、他にどんなことをしようか、と夢みるのです。


これも在る意味「往きて帰りし」物語になるのかもしれませんが、帰ろうか帰るまいか、のところで、もうちょっと余裕を持って自分で決着をつけたかっただろうなあ、ほんとは。