街の灯

街の灯 (文春文庫)街の灯
北村薫
文春文庫
★★★★


北村薫の新作「鷺と雪」を図書館に予約しました。そうしたら、これがベッキーさんシリーズの三作目であることを知り、あわててその一作目の「街の灯」を借りてきたところです。

昭和初期。(解説によれば昭和7年)
やんごとなき学校に通うお姫様がたの「ごきげんよう」「あら、お凄い」「・・・ごふ(御不浄)に、いらっしゃいませんか」というまったりとした会話がたまりません。
伯爵侯爵など華族さまがたの園遊会やら夕食会、姫様がたの雛の宴。
お抱え運転手つきのクライスラーやフォードで送り迎え、ご令嬢がたの外出など思い通りといきませんが、出るとなればお供の従者を連れて。
描かれる生活様式、調度品なども半端じゃないので、楽しめました。
特注のミントンのティーセットですって。家紋入りの(笑)
志野の白い皿に上品に盛られた枇杷とか。(我が家のパン屋さんの景品のお皿に無造作に載せられた枇杷とは一味も二味も違います)
某侯爵家には雨戸を開け閉めするだけのお役の人がいるそうです。あんまり広いお屋敷なので、夜が白む頃からあけ始めても全部開け終わるまでに昼過ぎまでかかるのですと。

供待ち部屋やら、電話室やら、図書室やら、なにやら・・・
以前、雛人形を見に行った川島町の旧遠山邸(記念館になっている)の素晴らしいお屋敷を思い出しながら読みました。はあ〜、まずは縁のない眩しい世界をのぞきみしてしまい、圧倒されました。



暗い時代のはずですが、紳士令嬢方の世界は絢爛豪華。
そんな世界に住みながら、主人公英子(元士族・大会社社長の令嬢)は、その境遇のわりには、もののわかった少女で、柔らかな考え方には好感が持てます。
この時代に珍しい女性運転手のベッキーさんこと別宮みつ子。運転の技量だけではなく、文武においてさまざまな才能の持ち主ですが、それを奥ゆかしく隠しているスーパーレディ。この人は一体何者なのでしょうか。素性を知りたい。

先に解説(貫井徳郎)を読んでしまいました。ここで、推理小説としての探偵役・ワトソン役を、英子とベッキーさんに当てはめてはいけないということを知ります。この二人の関係が特別であり、かなり珍しい趣向、との思わせぶりな書き方に、ほうほう、と期待がふくらみます。
なるほど、でした。
ベッキーさん、すごい。そして、英子の役割もふさわしい。
この時代にも、この上流社会のおのおのの立場、おのおのの性格にもぴったりです。すごいコンビです。余裕なのよねー。かっこいいのです。

三作品が収録されていましたが、最後の「街の灯」がダントツでした。先のニ作品の中では、ある意味どうでもいい脇役でしかなかった「眠そうな目をした」道子さんの語りに圧倒されました。すごい女性です。14歳、ですよね。英子もすばらしいけど、別の意味で、この人は凄い。
不自由な(庶民には思いもよらぬ不幸とも思う)ご身分を逆手にとって時代を手玉にとりながら、堂々と生きていく、こちらも別宮ベッキーさんとは別口の「ベッキーさん」ではないか、と思いました。
もともとベッキーさんというのは、サッカレーの「虚栄の市」のヒロイン、ベッキー・シャープから、とったニックネームです。英子は、この本を読み、ベッキー・シャープのしたたかさに舌を巻きながらも、
「彼女に対して不快な思いは残らない。生来の美貌と利発さで、男を手玉にとっても――とは、はしたないいい方だが――ただただ、男の方が愚かに見える」
と語っています。そして、わたしは、道子に対して、英子がベッキー・シャープに抱いたのと同じ印象を持ったのでした。舌を巻きながら、不快ではないのです。一種の清清しささえ感じました。
このような女性を描けるってすごい。チャップリンの「街の灯」の最後の場面をあんなふうに解釈させるっていうのもすごい。

蛇足ですが、巻末に付された参考文献の一覧、これがなんとも魅力的で、本のタイトルをひとつひとつ眺めて楽しんでしまいました。
「女子学習院五十年史」「徳川慶喜家の子ども部屋」「ある華族の昭和史」「私の東京物語」・・・どんな本だろう、と手にとってみたくなりませんか?

さて、次は二作目「玻璃の天」。三作目は、さいわい(?)当分まわってきそうにありませんので、ゆっくり読もうと思います。