ザ・ロード

ザ・ロードザ・ロード
コーマック・マッカーシー
黒原敏行 訳
早川書房
★★★★


荒涼とした世界。
何もかもが失われ、地上のものみな廃墟と化し、大地には厚く黒い灰がつもっている。
何もかもが死に絶えた暗く厳しい寒さの中で、わずかに生き延びたものたちが物陰に息をひそめている。
人は暴徒と化し、食物を求めて、廃墟となった人家や店を漁り、
時には、不気味な野獣と化し、集団で人肉をむさぼる吐き気を及ぼすような場面に出会う。
動物も植物も死に絶え、もはや食料といえばそれしかないのだが。
この世界では、人に会うことは敵と会うこと。盗むものであり、殺すものだから。自分を守るために戦うしかないのだから。

そんな世界を父と子が南へ向かって旅をしている。ショッピングカートを押しながら。
南に何があるというのだろう。
一体この先に何があるのだろう、この道の先に何があるのだろう、といぶかしむ。
こんな世界で、仲間を見出す、という目標もありえないし、どこへ行っても、見える光景はおなじだろう。
ただここにはもういられない、という理由だけで歩いているように思えるときがある。
せめて「南へ行く」という目標でも持たなければ、生きることもできない、とでもいうかのよう。
子どもは、父の言葉、自分たちは「善いもの」であり「火を運ぶものだ」というのをそのまま信じている。
時には子を守るために人を殺す父親。人を見るたびに助けてあげて、と懇願する子ども。
父親は、子どもを生かすために、ただ守るために、必死に戦いますが、病気に蝕まれていて、長くは持たないだろうことを知っています。子どもも黙っているけれど、わかっているのです。そしてもくもくと歩く二人の姿がつらい。
彼らは、わずかに残った(多くはすでに略奪されたあとだけれど)瓶詰めや缶詰で命を繋いでいる。動物も植物もない世界なのだから、これらの食料が尽きたら、野獣になるつもりはないなら、もはや死ぬしかない。
the road、道は、どこまでも果てしなく、どこまで行っても荒涼とした風景が続くだけ。希望なんて何もない。
読みながら、この世界を覆う地獄の光景を、壁紙か何かのようにびりびりと引き裂きたくなる。そうすれば、その後ろから、青空が、緑の梢が、小鳥の声、魚の跳ねる音が聞こえるような気がして。
それほどの暗闇。
それでも生きたいのか、また、生きなければならないのか。生きるのだ、それでも。でも、生きることの意味ってなんなのだろう。
あまりに苦しくて、途中で何度も挫折しそうになりました。

この絶望に覆われた暗黒の世界の中で、少年の善良さが明るく澄んで、柔らかな光のようです。世界がこうなる前の世界をこの少年は知らない。こんな暗黒の鬼気迫る風景の中で、それはまるで奇跡のよう。

>彼にわかるのは息子が拠り所であることだけだった。あの子が神の言葉でないなら神は一度もしゃべったことがないんだ、と彼はひとりごちた。
この少年のなかに「神」を見る父。・・・でもね、この子をこのように育てたのは父なのです。
この希望のない大地の上を漂流しながら、父は子どもに本を読んでやり、「お話」をしてあげるのです。子どもの心に希望の種を撒くのです。
また、無人の廃屋に食べ物や使えそうな道具を探しに入って、何のつもりもなく、花の種の包み(ベゴニア、朝顔など)をポケットに入れるところが印象に残っているのです。
こういう彼の子どもなのです・・・

何度も少年が口にする「火を運ぶもの」という言葉の「火」って何なのか。その火はどこにあり、どのようにして運んでいるのか。
彼はこの火をどこへ運ぼうとしていたのか。運ぶ必要はなかった。ただ、この火を消さないこと、燃やし続けること、燃え続けることを祈ること。それだけを彼は自分に課していたのだ。

「(火は)あるんだ」と彼は言う。「(君は)知っている」と彼は言う。はっとしました。わたしも、知ってたんだ・・・
その火はこれからどうなるのだろうか。火を守るものがいなくなったら。もしかしたら消えてしまうのだろうか。消えてしまっても仕方がない、と思った。でも消えないでほしい、と思った。
その火が消えずにすみそうなことを確認してこの本を閉じる。これからも燃え続けることを信じて。
この深い闇の中に、小さく燃える火が、あそこにもここにも見える気がする。
闇の中で唯一輝くもの。
その火をつけたもの、その火を守るものの崇高さに打たれる。それもまた人間なのだ、ということに。