スイート川の日々

honスイート川の日々 (Best choice)
ルース・ホワイト
ホゥゴー政子 訳
福武書店
★★★★


山と山に挟まれたスイート川の谷間。山の斜面に張り付くようにしてぽつんぽつんと建っている家々は、炭鉱労働者の住まいです。この山の持ち主であるクランシーさんの屋敷以外は。
ジニーが姉のジュニーと母ちゃんとともにここに住んだ6歳から12歳の日々。
炭鉱労働者の父ちゃんが殺されて、もう炭鉱の社宅に住めなくなったから、ここに引っ越してきたのです。
住人たちは皆貧しく、誰もが知り合い、というこの谷間。
引っ越してきてすぐに友だちにも恵まれたし、母ちゃんは愛情深く、ジニーはこの谷間でのびのびと育ちます。
なわとび、ごっこ遊び、紙人形を切り抜いて遊ぶこと、黄金の葉のなかをぶらつくこと、舞台に見立てた崖から聴衆の木々に向かって歌いかけること、雲にもとどくやぐらに駆け上っていくこと、ブドウのつるにつかまって揺れること。
時には親には絶対言えない危ない遊びもしました。友達と手をつないで「ずっと友だちでいよう」と約束したことも、強情を張って仲直りを遅らせるけんかもしたし、仲間はずれにもなりました。
谷間を駆け巡り遊び遊び、大きくなるに連れて複雑になっていく友人関係もまた、少し形を変えたら何もかも私自身にも覚えのあることばかり。ひたすら懐かしくて、ほろ苦くて、胸がいっぱいになります。

また、ジニーとジュニーがときどき出会う、子どもの幽霊が印象的。ボストンの「グリーンノウの子どもたち」をちょっと連想しました。この幽霊の存在が少女時代のジニーの日々にふしぎな色彩を与えてくれます。幽霊が見えるときはたいていひとりぼっちのとき、とか気持ちが弱くなっているときとか。そんなときのように思いました。心の隙間にすーっと形になって忍び込むような感じです。幽霊、というより過去の一瞬が現在の時間のなかに少しだけ溶け込んだような感じ。
この幽霊達は、失うものの多い幼い日の彼女の心にある喪失感を埋めようとしているようです。

それから、何気ない場面のひとつですが、母ちゃんがジニーとジュニーを両側に寄せて本を読んで聞かせるところが好き。親が子に本を読んであげる場面が出てくると、ほっと和んでしまうのです。とっても幸せな場面だと思います。

大人の影響を大きく受ける子ども時代です。大人たちの持っている弱さが、子どもの立ち位置を大きくゆるがせます。
おじいちゃん、ニック、ムーア夫人・・・それぞれ個性的で愛すべき人々ですが、それぞれにどうしようもない欠点を抱えています。それを10歳にも満たないような子どもの目が冷静にみています。
なによりも興味本位の無責任な噂と中傷は、子どもたちの世界にまで浸透し、傷つけます。
口さがない噂(たいていは根も葉もない悪意の作り話)が駆け巡る。父ちゃんを失ったばかりのジニーの一家は、近所からの恰好の噂話の餌食となります。
ジニーの苦しみ悲しみは、たいてい人の噂から始まるのです。大人の口から出た噂話です。子どもをたいせつになんかしていません。自分たちの卑しい言葉が子どもたちの中に染みとおるような世界は。
口ってこわいものです。
実はジニーの母ちゃんの小さな希望の芽を奪うきっかけになったのも、ついついポロリともらしたジニーの口だったりもするのです・・・
母ちゃんは噂話から超然としていようとします。必要以上に谷間の人たちとのお付き合いを避けてさえいます。ひどい中傷にいきり立つジニーをしずめて母ちゃんはこんなふうに言います。
「おまえが、うわさをする人たちのことを、こわがったりしないかぎり、その人たちは、おまえを傷つけたりできないんだよ。指一本ふれたりできないの。だから、頭をしゃんとあげていることだよ。いいね、おまえはなんにも悪いことしてないんだから」
(この母ちゃんに愛された父ちゃんって、どんな人だったんだろうねえ)
ジニーはたくましくて、噂のなかで頭をあげて歩いていきます。
だけど、一方で噂に負けてしまう少女がいる。ジニーの大切な友人。彼女の母親がまず彼女を責め立てるのです。彼女が罪の意識に苦しみ、地獄を恐れ、ぼろぼろになっていくのが痛々しい。
この二人の少女の差は、守ってくれる、信頼できる大人の大きな確固とした愛情があるかないか、でもあると思うのです。一人ぼっちで、だれにも相談できずに追い詰められていくしかなかった子のことが心に残ります。

沢山の悲しいことを経験した少女時代。ジニーは大切なものを次々に失います。「私の好きな人はみんなわたしを置いていく」と泣くジニーに「もしきみが本当にだれかを好きなら、その人はいつもかえってくるよ……たぶんちがった形かもしれないけど、でも帰ってくるよ。きみの愛情が引きもどすんだ」と語ってくれた人がいました。彼もまた昔愛する人を失っていたのです。ジニーが誰かに一番言ってもらいたかったことでした。
ここで、作者とジニーが不意に重なります。ジニーもまた大きくなったら小説家になるかもしれない。もしかしたら、書くことで失ったものたちを取り戻す日が来るのかもしれない、と思いました。

>わたしはひえびえとした山の峰を見ながら思い出しました――ほんの小さな子どものころ、クリスマスイブに、サンタクロースがそりに乗って、あの山を越えてやってくるのをまっていたことを。もうサンタクロースや、鬼ばばを信じることはないと、わかっていました。今はもっとすばらしいものを、信じていました。
ジニーの子ども時代の終わり、思春期のはじまりです。