親愛なるブリードさま

親愛なるブリードさま―強制収容された日系二世とアメリカ人図書館司書の物語親愛なるブリードさま―強制収容された日系二世とアメリカ人図書館司書の物語
ジョアンヌ・オッペンハイム
今村亮 訳
柏書房
★★★★


真珠湾奇襲をきっかけに、合衆国本土では一種の集団ヒステリーと人種差別により、日系アメリカ人への弾圧が強まり、民衆の声にこたえるかのように、全ての日系人強制収容所に送られる。
こういう事実があった、ということを知っているつもりでしたが、何も知っていなかった、ということを自覚させられました。
その生活の残酷さもさることながら、何よりも、罪もない普通に生活していた市民が、言われなき迫害から本来保護されるべきその国の政府によって、いきなり権利の全てを奪われて、まるで罪人のように、銃を向けられ、鉄条網の中に追い込まれ、その声は一切聞き入れられなかった、という事実に言葉もありませんでした。
ある日突然、土地も家も財産も職業も、友人も奪われ、その国の国民である、という誇りも奪われました。子どもたちは未来への希望までも奪われたのです。
そして、デマ、粉飾などにより、日系人すべてが悪者にされ、そのひどい扱われようは取りざたされず、さらにさらに迫害に拍車をかける日々。理不尽理不尽理不尽、と叫びたいことばかりですが、その声一切が無視され、収容所を囲む砂漠の風の中に消え去りました。炎熱の砂漠の中の黒いタール張りのバラック小屋。すきまだらけの室内は、夏はさそりや毒虫が容易に這いこみ、冬は冷たい風にさらされて。劣悪な衛生状態。生活に加わるさまざまな圧力、監視。
頑迷で偏見もちで無知な白人達の声に、わたしたちは怒りをぶつけることは簡単ですが、私たち自身が違う立場で、だれかを同じように扱っていないか、扱う可能性があるのではないか、自問してみたいと思います。

>こういうことは他の集団に対しても起こりうるのでしょうか、と生徒がよく質問します。わたしは「イエス」と答えざるを得ません。……自由を当たり前のことと思ってはいけないのです。自由を失って初めて、それがどんな価値を持っていたかに気づくのです。自由に値札はついていませんから。 (グレース・ナカムラの証言 1981)
・・・そんななかで、収容所の壁の中の子どもたちに本を贈り続けた白人女性がいました。彼女の名前はクララ・ブリード。
サンディエゴ市立図書館児童室担当司書でした。
彼女の図書館には日系人の子どもたちが多く訪れ、そのほとんどが熱心な読書家だったのです。彼女はこの子どもたちを愛し、彼らが収容所に移送されるとき、停車場に見送りに行き、子どもたちみんなに沢山の葉書(そこにはブリードの住所と宛名が記され、切手が貼られていた)を渡し、「居場所を知らせてほしい」と伝えます。そして、ときにはキャンディやこまごました日用品なども添えて、ずっと本を贈り続けたのでした。そして彼らを励ます手紙を。彼らとの文通と友情はずっと続いたのです。

彼女に宛てた沢山の子どもたちの手紙が残っています。その数250通!その手紙がまた健気なのです。この理不尽な環境、理不尽な迫害のなか、前向きに勤勉であろうとする姿に胸がいっぱいになります。(クララ・ブリードは子どもたちからの手紙を箱のなかに大切にしまって生涯とっておきました) その手紙と数々の証言から、今、収容所の実態、そして日系人(ひいてはアメリカ国内の少数民族)への差別、集団ヒステリーの嵐、国を挙げて犯した罪が浮き彫りになっていきます。
そして、尊い心も。

>クララ・ブリードさんは収容所の外で、本を通して、愛と友情のメッセージを送ってくれました。わたしは、そうしてメッセージを送ってもらった一人として、人生における文学の価値、すなわち心を癒してくれるということを、みんなに伝えたいと思います。さらに、書物は知識を高め、知的な考えを導き、人生について教えてくれます。(中略)言葉の持つ力、言葉への愛を尊敬することを教えてくださいました。キャンディ、衣類、手紙、その他たくさんのものを送ってくださいましたが、本が何よりのものでした。本や文学がいかに子どもたちの人生と心に重要かということです。・・・(エリザベス・キクチ)
政治家も新聞も一丸となったこの戦時下の異常な集団ヒステリーのさなか、「何かがおかしい。これはまちがっている」という心の声に耳を傾け、常に冷静であろうとし、時代に棹さしても正しいと思われることを続けました。
彼女自身はもはやこの世になく、彼女自身、自分が子どもたちにしたこれらのことを努めて語らなかったため、その詳細はわかりませんが、あちらにこちらに出された、日系人を擁護するための手紙、投稿など、そして、何より子どもたちが、「親愛なるブリードさん」と語りかける温かい手紙に、彼女が自分の生活のどれだけ多くを犠牲にして子どもたちに尽くしたかが伝わります。
そして、きっと彼女に対する弾圧もどんなに厳しかったことか、と推測するのです。こんな時代ですもの。彼女と言う個人かこれだけのことをする、ということは世間の風当たりがどんなにきつかったことか、と思うのです。
でも、彼女は生涯、日系人の子どもたちとの友情を保ちつづけたのでした。
>彼女は銃を手にすることも、手榴弾を投げることもなく、戦場での勇気ある行いに対し勲章を与えられることもなかった。実際、彼女は平和主義者を自認していた。戦争によって問題が解決できるとは信じていなかった。しかし不正義に対しては、言葉の持つ力と、ささやかとはいえ親切な行為を繰り返すことで戦った。
先にあげたグレース・ナカムラの証言の引用ではないけれど、「こうしたこと」はいつの時代でも、どんな集団でも、起こり得るのだと思います。それこそ誰にでも。だけど、クララ・ブリードのしたことは、誰でもできることではありませんでした。
今現在あちこちで小さな「こうしたこと」が起きているような気がして仕方がありません。クララ・ブリードがどのように生きたか、忘れないでいることで、少しだけよい生き方ができるような気がします。