エマ・ジーン・ラザルス、木から落ちる

エマ・ジーン・ラザルス、木から落ちるエマ・ジーン・ラザルス、木から落ちる
ローレン・ターシス
部谷真奈実 訳
主婦の友社
★★★★


平気で約束を破ったり人の自尊心を傷つけたりする一方、傷つくことがこわくて人と調子を合わせておもしろくもない話題に笑ったり、群れたり・・・学校って、女の子の集団って、アメリカも日本もそんなに変らないのかな。
エマ・ジーン・ラザルスは、学校では浮いています。論理的思考のエマ・ジーンは、そういう理不尽なことには関わらないから。いつも、みんなから離れたところで、冷静にみんなの様子を観察しています。
ところが、ある日、トイレで泣いていたコリーンにふいに「助けて」と声をかけられて、彼女のために何かできることをしようと考え行動します。
しかし、エマ・ジーンの行動はまるで数式みたいなのです。彼女は頭もよいし、その態度は誠実であり、毅然としていますし、行動力もあります。ただ、問題に対する答えは常に唯一無二、みたいな感じがひっかかるのです。とっても単純な対症療法にしてしまっている感じに、ブレーキをかけたくなります。人の心の問題は、1+1の答えが2になることのほうがまれで、3だったり7だったり、答えが出なかったりのほうがずっとずっと多いことに気がつかないのです。
問題のまわりにひらひらする微妙で複雑な人の心一切が見えていない。目に見えることは問題のほんの一部でしかないことがわかっていないのです。これはハラハラと不安になります。

コリーンは、エマ・ジーンとは全く逆のタイプです。親友がいて、常に気配りを忘れない。だけどほんとうはいつも不安で、傷つくことを恐れて、いつも周りばかり気にしているような女の子です。

一見、エマ・ジーンは子どもっぽい同級生たちから超越しているような、毅然とした潔さを感じます。だけど、読むほどに彼女の書かれていないほんとうの気持ちが見えてくる。
ほんとうは臆病なのだ。一人ぼっちは寂しいのだ。ほんとうは友だちがほしいのだ。寂しいけれど、人と接することで傷つくのがこわいのだ。自分の感情に蓋をしてしまえば、そんな自分に気がつかずに済むものね。

エマ・ジーンとコリーン。
一見真逆のように見える二人ですが、おなじくらい感じやすい13歳。違って見えるのは、外側だけ。中には、よく似た臆病な子どもが眠っています。これから少しずつ成長していくまっさらな魂が。

二人とも、別の立場で、自分なりに一生懸命考えるけれど、思ったようには物事は運びません。
「木から落ちる」くらいのことを何度も繰り返さなければ、なかなか別の見方があることに気がつかないのだと思います。そうして、勇気を出して臆病な自分を殻の外に出してやる決心をするって、大変なことです。
わたしなんて、すっかり大人になってしまっても、まだまだ木から落ち続けています。それも同じ木から何度も落ちているような・・・
それでも少しは木登りが上手になってきたのでしょうか。(自信なし)

子どもたちのまわりに、彼らのことを心から大切に思ってくれる大人がいるのがよかったです。子どもたちが思春期を渡っていくためには信頼できる大人の助けがどんなに大切であることか。コリーンに「ひとつだけ、約束してくれるかい。もがくのを、けっしてやめてしまわないこと」と諭したウィリアム神父。
エマ・ジーンに「つぎは、同じ木にはのぼらないようにするか、のぼったとしても、もっとしっかりとつかまっていることにする」と話してくれたおかあさん。
陰で子どもたちを見守りこっそり支えて来た用務員のジョハンセンさん。・・・ああ、ジョハンセンさん、大好き。彼は長い年月こんなふうにして、生き方のへたな子どもたちを陰から応援してきたのでしょう、知らん顔して。
・・・ふと思う。今の日本の子どもたちの周りにこういう大人がどのくらいいるのかな。わが子のまわりには。そして、わたしも大人の一人なのだと。
傷つくことを恐れて殻の奥に引きこもってしまうのは子どもだけではありません。子どもの回りの大人からしてそうなんです。

木から落ちても、よいしょと立ち上がって、また別の木にのぼる、きっと。で、また落ちるかもしれない。だけど、だんだん登りかたも落ち方(降り方)も上手になっていくはず。
上手になるまでゆっくりいきましょう。