ねたあとに

ねたあとにねたあとに
長嶋有
朝日新聞出版
★★★★


扉に、おうちの見取り図。外からテラスを通って足あとが書いてある。
家の見取り図、見るの好きなんです。さらにあの足あと見たら、「これは密室の殺人事件かな」と思ったのですが、まったく違いました。
この見取り図、楽しいです。本を読んだ後、もう一度見ると、くすっと笑える。(でももうちょっと大きな字をつけてくださいな。rouganの 目が悪い読者より^^)

作家コモロウの山荘になんとなく集まる常連さんたち。
何がおこるわけでもありません。
他愛ない会話。コタツをかこんでゲームをしたり、ただゆるーくしゃべったり。
しかも(って何がしかもなんだか)この家、山荘ですよね。セカンドハウス。なのに、なぜ、仏間があって仏壇があるのだ。
わけわからないのです。

これがなんでおもしろいんだろう。でもおもしろいのです。
ずうっと読んでいたい、と思ってしまう。のんびりと。
「惰眠をむさぼる」って言葉があるから、惰読をむさぼる、って言葉だってあっていいのでは?
そんなふうに、読むのがいいです。

ワンテンポずれた感じの暢気な会話が楽しくて、この会話から浮かび上がる人物像に、もしや、おぬし、どっちかというと変人なんじゃないの?と思ったりします。
いえ、世間じゃ、ちゃんとしているんだよね、きっと。(コモロウさん以外は^^) でも、ここに集まると、ほっとして地が出ちゃうんでしょ。で、それがとっても心地いいんでしょ。
誰でもウェルカムに見えるけど、なんとなくこの山荘に招かれる人たちって、それなりの規定(?)があるみたいなのですよ。つまり、このムードにすうっと溶け込めるひと、っていう。

何が起こるわけでもないのです。
ここでやることといったら、とりとめのない会話(シモネタもなしwai談もなしの、ほんとにとりとめもなく、意味もなくの会話です)と、そうね、ゲームです。このゲームがおもしろいのです。
マージャンパイを使った『ケイバ』
言葉遊びみたいな『顔』とか『それはなんでしょう』とか『ダジャレしりとり』
・・・こんなルール良く考え付くなあ。退屈は発明の母でしょうか。生来のおもしろがりのなせるわざでしょうか。
凝った道具に遊んでもらうのではなくて、何もないところから、こんなおもしろいゲームができるんだね。コタツを囲んで。
わたし、ほんとにやってみたいもの。仲間に入れてほしいもの。あの奇妙な会話のなかにいたいもの。気がついたらそこに居たって感じで。
何も残らないけど(残ってたまるか^^)、のんびリタララララッて読んでいるのに、雰囲気のセンスのよさに妙に感動したりしています。しかも、そういうことをわざわざ言うのが恥ずかしくなっちゃうようなセンスのよさなんですよね。

>我々は眠い。だから、ダジャレがいえる(許せる)。
長嶋有さん、これが初めてでした。よかったです。
表紙が高野文子さんだなんて、いい本ですね♪