ジプシー歌集

ジプシー歌集 (平凡社ライブラリー―詩のコレクション)ジプシー歌集 (平凡社ライブラリー―詩のコレクション)
ファデリコ・ガルシーア・ロルカ
会田由 訳
平凡社
★★★


・・・ところでこの巻末の訳者解説、どうしましょう^^

>少し厳密に考えると、ヨーロッパの詩の翻訳というものは、不可能である。なるほど、意味は曲がりなりにもわかる。それを、何となく、口調のいい詩らしく訳することは、これもまた、決して不可能ではあるまい。しかし、妙な技巧を弄しただけ、原詩とは別の、まあ、原詩の骨組を土台にして、訳者それぞれの好みなり趣味で、詩らしい形を整えただけに過ぎない。
(中略)
うまい詩の翻訳を、原詩とは別のものとして読むのなら、それはまたそれでかまわないかもしれない。しかし翻訳を読んで、ロルカの詩はなどと論ずるのだけは、お互いにつつしもう。
だけど。
だけど、好きです。とってもとっても、美しいです、訳詩。
何が好きかって言ったら、匂い、それから言葉の響き(もちろん訳詩の)でしょうか。
その言葉の連なりから感じる空気の匂い、人や動物の息を感じ、熱を感じ、空気の動きを感じる。音を感じる。それだけ。それが心地よければ、あるいは、何か心を揺さぶられたとしたら、それでもいいじゃないの、と思っていました。
海外のことだもの、状況も背景も、その国や民族の歴史も、宗教も文化も、わからないことはたくさんあります。
だから、「わかる」ことと「感じる」ことが遠く隔たっていても、もしかしたら、とんでもないカンチガイをしているかもしれないけれど、それは仕方ないことなのかもしれません。
・・・とはいえ、訳者をしてこうまで言わせるロルカの詩を原詩で味わえないのはとっても残念な気がします。

スペインの春の雨がどんな雨か知らなくても、スペインの人たちにとっての「みどり」の意味を知らなくても、それなりに湧いてくるイメージがあるのです。
乾いた風、日向、田舎の道。昼間は情熱的に、夜はしんと冷たく透明な空気の匂いに包まれてただ静かに。
そこに生きる人々のかぎりある命を寿ぐように歌う歌。奔放で、上流の人たちのサロンには相応しくはない。
そんなイメージを結びながら読んだ一連の詩。

>水底に
言葉はつづく。
水面に
円い月が
浴(ゆあみ)して
いと高い!
もう一つの月のそねみを招く。
沼岸に
子供が一人
上下の月を見て言う、
――夜よ、シンバルを鳴らせ!
       「馬上のドン・ペドロのあざ笑い(沼のあるロマンセ)」より