パリ左岸のピアノ工房

パリ左岸のピアノ工房 (新潮クレスト・ブックス)パリ左岸のピアノ工房
T.E.カーハート
村松潔 訳
新潮クレスト・ブックス
★★★★


パリのある狭い通りの小さな店。「デフォルジュ・ピアノ――工具と部品」と書かれたそっけない看板。
ドアの向こうの、棚とカウンターの間の細い通路の先にあるさらに小さなドア。
この、いつも閉じられているドアの向こうにどんな世界が待っているかは、真にピアノを愛する常連達だけしか知らない。
このドアを開けるには魔法の言葉が必要です。それは、一言で言えば、ピアノへの愛。
そして、この世界の水先案内人ともいえるピアノ修理職人リュックの語る言葉にわたしたちは吸い寄せられます。
それから作者のピアノへの思いと、長く離れていたピアノをもう一度習いたい、という強い願いにも吸い寄せられます。


決して難しい言葉はないのです。ピアノを知らなくても、音楽から遠く離れていても、
作者のピアノに向かう真摯な態度と、リュックのピアノへの熱い思いは心に響き、揺さぶられます。
リュック。こんな職人さんがいるのか、こんな店があるのか。これが実話だということもうれしいのです。
あらゆることが合理的に運ばれる日々。
それに逆行しようとでもするように流行って消えていった「スローライフ」という言葉の薄情さを思います。
でも、「デフォルジュ・ピアノ」の看板は久しい昔からそこにあり、
世間がどのように変ろうとどのようなものが流行ろうと、一向に関知せず、
たぶん、職人堅気の律儀さと頑固な信念のもと、ただ黙々と続いてきた店。


エッセイなのですが、ある意味、叙事詩のようでもあり、メルヘンのようでもあり、何よりも音楽であります。
心を篭めて丁寧に語られる、それはそれは美しいピアノとピアノの周辺の物語です。

>自分がピアノを探しに来たことなど、いつのまにか頭になかった。あまりにたくさんのピアノを前にして、わたしはその美しさやそれが暗示するさまざまな物語にすっかり心を奪われていた。

>・・・たとえ同じメーカーの同時代の製品でも、すべてのピアノにはそれぞれその一台だけの個性があるということである。

>たしかに、コンサートでも、友人たちとでも、あるいは愛する人とふたりでも、音楽をほかの人と共有するのはすばらしいことでありうる。しかし、音楽を自分だけのために演奏したいとか、その音楽――と作曲家――を内側から知る喜びのために演奏したいという欲求を音楽への冒涜とみなす必要があるのだろうか。

>ピアノがなんといってもすばらしいのは、ただの機械的な動きでしかないものを音楽に翻訳してくれることなのである。

この本を読みながら、ああ、ピアノが弾けたらなあ!と何度ため息をついたことでしょう。
だけど、わたしみたいな読者に作者は言います。「自分のリュックを探しに行くがいい!」
うんうん、そうだね。
それがどんなものであれ、作者にとっての「ピアノ」と「リュック」にあたる何かを自分は持っている、と自信をもって言えたら、
それはどんなに幸せなことでしょう。