ヨハネスブルクへの旅

ヨハネスブルクへの旅ヨハネスブルクへの旅
ビヴァリー・ナイドゥー
もりうちすみこ 訳
さ・え・ら書房
★★★★


ナレディの妹が重い病気です。
母さんをつれてこなくては。このままでは妹は死んでしまう・・・
でも、母さんは、ナレディたちの住む村から300キロも離れたヨハネスブルクのお屋敷で住み込みのメイドとして働いているのです。
12歳のナレディは、4歳下の弟ティロを連れて、歩いてヨハネスブルクへ向かいました・・・
さまざまな人たちの親切から親切につながれて、二人はかなりスムーズに目的地にたどり着きます。
しかし、二人に親切にしてくれたのは、みな同じ皮膚の色をした人たち。
そして、その道中、あまりにも理不尽なあれこれの差別の現実を目にし、耳にし、体験するのです。

アパルトヘイト時代の南アフリカ
作者は、白人としてこの国に生まれ、与えられた環境の中で何も疑問を持たずに育ち、大学生のときに、差別の実態に気づいたのだ、といいます。その後、反アパルトヘイト運動に身を投じ、投獄され、イギリスに亡命して、児童文学として、この本を著したそうです。

この本のすみずみまで、この国の人種差別に対する怒りがほとばしっているようでした。
デモに参加して殺されたり投獄されたりした子どもたち。累々とした死体の山のあいだに、わが子をさがす母達の姿が目に浮かぶよう。
黒人のための学校が、白人の召使に成るための教育をほどこす学校であることに主人公ナレディが気がつくところも印象的です。
「黒人はごみ箱ではない」ということばが忘れられません。教育と言いながら、ごみをこの国の政府は、黒人の子どもたちの頭の中に小さいときからつっこんできたのです。
だけど、それなら、白人の子どもたちだっておなじじゃありませんか。自分たちの特権を当たり前だ、という教育と環境を小さいときから与えられた、としたら、それもまたごみでしょう。
ナレディの母親の働くおやしきの子ども―ほんの小さい子が、黒人のメイドを母親の持ち物のようなつもりで大変失礼な態度をとる。でも、それは、そういう教えを受けてしまったこの子の不幸です。
白人の子どもたちもゴミ箱にされていたのです。
どちらにとってもこれ以上の不幸はない。

妹のようなあかちゃんを救うために、ただでさえ少ない医者に、自分はなりたいのだ。
そして、そのあかちゃんに必要な食べ物やミルクが充分に当たり前に手に入るような世の中にしたいのだ。
ナレディの思いが切ないです。
ナレディのような少女のけなげな願いが、実を結ぶような世界であってほしい。

あとがきで、この本を読んだ11歳の少女が作者に宛てた手紙が紹介されていました。
「わたしたち子どもだって、この世界でおこっているほんとうのことを学びたい。どうして、それを制限するのでしょう? わたしたちが知れば知るほど、わたしたちは知性的な強い人間になる。それが、この世界を平和にする方法なのに。」
差別は、差別される側だけに不幸なのではなく、差別する側にとっても大変な不幸である、と強く思いました。