ビリー・ジョーの大地

ビリー・ジョーの大地ビリー・ジョーの大地
カレン・ヘス
伊藤比呂美 訳
理論社
★★★★


土ぼこりが顔にへばりつく。家の中の空気がほこりだらけになったよう。口の中もざらざらとしている。肺の中まで細かい土が蓄積されていくよう。・・・そんな息苦しさを、読中ずーっと感じていました。
1934年から35年、大恐慌時代。干ばつ、日照り、土嵐が吹きまくるオクラホマ
主人公ビリー・ジョー、14歳のころ。

14歳。
思春期のただなかにあって、周りのもの何もかもが鬱陶しいころ。
深い孤独に沈みながら、周りの何もかもに反発し、ぶち壊す、自分の足ですっくり立つための儀式のころ。大人になるための暗い祭りのように、子どもたちはこの時期を乗り越えていくのでしょう。
親であれ、だれであれ、この暗い儀式に手を差し出すことはできない。子どもは自分で乗り越えなければならないから。親にできるのは、子どもが万一振り返ったときに(振り返らないかもしれないけれど)、ここにいるよ、と言える場所にいることだけなのです。
――見ているほうもとてもとても辛かったのだ、と自分がティーンエイジャーの親になったときに知りました。

しかし、ビリー・ジョーの場合。何と過酷な14歳だろう。
干ばつがすべてを奪い、それでもまだ奪い、奪い、何もかも奪いつくすのです。
家族の中の希望も、彼女のささやかな喜びも、未来の夢も、そして・・・本当に本当に何もかも。
こういう状態の中での思春期なのです。
ビリー・ジョーの暗い怒り。悲しみがあふれ出さないように、寂しさに叫びださないように、怒りの鎧で身を固めてじっと立つ。「絶対に許さない」と言う言葉を盾にして。じっとしていないと、何もかもが壊れて渦巻く暗い濁流になってあふれ、華奢でか細いこの体を持ち去ってしまうかもしれないから。

ふっと、最近読んだ「天井に星の輝く」のイェンナを思い出しました。時代も、国も、置かれた状況も違うけれど、心と体を支えるだけでも精一杯の年の頃に、これでもかとばかりに襲い掛かる過酷な状況。嵐の中で、ひとりぼっち(本当にひとりぼっち)で、必死で大地にしがみついているような彼女達の姿がときどきダブって見えました。
これは、過酷な儀式なのだ。自分で乗り越えられなければ潰れるしかないのだ。自分で嵐を乗り越えるしかない、嵐を鎮めるしかない。
そこにいるのは自分だけではない、嵐の暗い空の向こうで、同じように戦っている人たちがいるのだということに自分で気がつかなければいけないのです・・・

そうはいっても、
良い成績をとったビリー・ジョーを自慢に思いながらもちっともほめてくれなかったかあさんのそっけない一言に、むかついた日もあったのに、それをなくしたときに、無性にそのそっけない一言を懐かしがるビリー・ジョーの言葉を読んだときは切なくてたまらなかった。
弟が着るはずだったベビー服を着て去っていったあかちゃんの乗ったトラックを追って走るビリー・ジョーの細いからだが見えるような気がして、これもまた、切なかった。
まだまだ子どもなのです。鎧を着て盾を持っていても、中身は不安でしょうがない子どもなのだ。何も言わなくてもいいから、自分を愛するだれかが自分のことを喜び悲しみ、してほしい。自分では冷たく顔をそむけ、あるときは睨みつけても、それでもどんなときでもあの人はちゃんと愛してくれているのだ、という実感を持っていたいのです。14歳なんだもの。

大地は、土嵐のなかで、ただ沈黙するのみ。耐えているのか、冷たく無視しているのか。いえ、黙って青草の種をじっと温め続けている。奪われても奪われても芽を出させている。

>とうさんは草の生えた大地みたいだ、とあたしは言った。
それならあたしは小麦だね
どこででもとれるってわけにはいけないけど
ここでならとれる。
訳が良いです。
たたきつけるような日本語です。激しく力強い日本語です。決して激しい言葉も過激な表現も使っていないのに、この日本語の中から、土嵐の叫びが、ビリー・ジョーの中で、あふれさせることもできず渦巻く土嵐が、押し寄せてくるのです。

訳者、伊藤比呂美さんは、カリフォルニアの本屋さんで英語版のこの本を手にとったとき、「英語版の表紙には、ふてぶてしい顔の少女がこっちをにらみつけていて、それが、むかつくうちの娘になんとなく似ていて」買おうと思ったのだ、とあとがきに書いています。
そして、この本を訳すにあたって、13歳と15歳の娘達に下訳をやってもらったそうです。「どうせなら、うちの娘の13歳の日本語と英語を使いたい」との希望から。
そして、「思春期の子っていうのは、マンガやインターネットでよく見るような、口語っぽい、やわらかい、くずれたことばを使うかと思っていましたが、とんでもなかった。かえって習ったとおりの日本語のかたちをくずせない。その生硬さ、融通のきかなさも、わたしはすごく新鮮でした。これでは実生活もきつかろうと思いました。考えてみれば、そうだから思春期なんです。」との言葉に、涙が出そうになりました。