昨日のように遠い日

昨日のように遠い日―少女少年小説選昨日のように遠い日―少女少年小説選
柴田元幸 編
文藝春秋
★★★★★


「昨日のように遠い日」というタイトルがそのまま詩のようです。これだけで、甘美な郷愁の世界に誘われます。そのうえ装丁が、クラフト・エヴィング商會のこれですものねえ。
つまりどこからどこまで美しいのです。(ただし、この美しさには一種独特のクセがあります。そのクセがまた・・・良いのですよ)

この本は凝った装飾を施したボンボニエール。
蓋をつまんでそっとあけてみると、中に入っているのは美しい色とりどりのボンボンで、その味わいは手放しの甘さではないのです。どのボンボンからも、こどもの日のほろにがい甘さ、小さな傷が疼くような喜びなどがよみがえってくるのです。
たとえば、わあっと遊んで楽しく楽しく過ごしているときに、ふっと感じる虚しさのようなもの、
そっと手渡される心の篭った情愛のなかにきらっと小さなとげが刺さっているのを感じた瞬間、
大切にしていたものを自分の気まぐれから後先考えずに壊してしまい、取り返しのつかなさを感じる瞬間・・・
それからかなわない夢、伝わらない思い、自分のなかだけで完結する丁寧で美しい世界、むしろ子ども時代の華々しさから離れた陰りのようなもの・・・

知らない作家がほとんどでした。そして、作風はみんな違います。
それなのに、統一感があるのは、「少女少年小説」という共通のテーマに則って、柴田元幸さん一人が吟味して選んだ作品達であり、さらに、すべて柴田さんが日本語に翻訳された作品であるからでしょうか。
だから、作者名を伏せて、一人の作家の短編集だよ、と言って差し出されたら、すんなりと信じてしまっただろうな、とも思いました。邦訳本は、訳者の力によるところがこんなに大きい、と改めて思いました。

まず、一作目バリー・ユアグローの「大洋」、窓の向こうに海が見えた瞬間の息を呑むような感動。この本買ってよかった、と心から思いました。まだたった2ページしか読んでいないのに! そして、この海の哀しさ、切なさ、静けさ・・・

アルトゥーロ・ヴィヴァンテのニ作品「ホルボーン亭」「灯台」からは、幼い日の思い出の美しさがきらきらと浮かび上がってくるのです。二度と取り返すことのできない世界なのだ、という苦さが入り混じった美しさ。

ダニイル・ハルムスのナンセンスなショート作品と詩。とくに「おとぎばなし」がおもしろかった。思いがけず、さりげなく、この本のタイトルに出会ってしまって、にこっ。

マリリン・マクラフリンの「修道者」も素晴らしいです。少女が子ども時代に別れを告げて大人になる物語です。おばあちゃんと孫娘の関係に、梨木香歩さんの「西の魔女が死んだ」をちょっと思い出したのですが、こちらは短編です。短い文章、小さなシーンを重ねながら、きたるべき瞬間をきりりとまとめ、それはそれは美しく描いて見せてくれます。

レベッカ・ブラウンの「パン」はとても印象的です。
少女ばかりの寄宿学校の独特の雰囲気。優雅な悪意。あまりに優雅で完璧に美しいので、その静かな邪気にぞくっとするのです。そして、ぞくっとしながらも惹かれてしまう。悪意にまで惹かれてしまうその気品。ああ、少女達のこういう雰囲気、わかるなあ。凍りつくようなあの瞬間も、わかる。気をつけていたのに、いつの間にか、舞い上がって自制を失ってしまった、ホンの一瞬の隙。取り返しのつかない後悔の、苦さ以上の苦さ。
二種類のパンがとても印象的な役割を果たしていました。

アレクサンダル・へモンの「島」。南国の底抜けに明るい空の下なのに、感じるのは閉塞した空気や、姿のない不安、居心地の悪さ、気味悪さ。不気味さ。
気に入った麦藁帽子が風に飛ばされて戻ってこないところから始まるのも妙に印象的でした。

しめくくりのデ・ラ・メアの「謎」、最後にこれがくるのも雰囲気、です。もしかしたらこの本の一作め「大洋」のボートの帰着点もここだったりして、とチラッと思いました。そしてだれもかれも舞台から消えていくのですね。

全部全部ぜえーんぶ、好きです。こんなアンソロジー、もっともっと読みたい。でもこれ一冊だからいいのかしら。
そうそう、付録がすてきなのです。カラーの一枚ものの漫画が裏表×2枚。これが、このまま額装して飾りたいくらいの美しさなのです。色も絵もそれはそれはすてき、こま割りまですてきで、すごく得をした気分になっています。

少女少年小説といっても、実際に只今の少女少年のための小説、と言うわけではないと思います。はるかな昨日のように遠い日にわたしたちは少女少年だったのだと、ふと思い出して、どんなものを過去に置き去りにしてきたのか気づくような小説集、と言ったらいいかもしれません。
それは決して明るい思い出ではないけれど、それだけに何重にも封印して心の奥底にしまいこんでいたものたち。でも、取り出してみたら、思いのほか愛しいものだったよ。そんな感じかもしれません。