銀の匙

銀の匙 (岩波文庫)銀の匙
中勘助
岩波文庫
★★★★


小川洋子さんの「心と響き合う読書案内」から読みたいと思った一冊。

なかなか開かない抽匣からみつけた銀の匙。これは、ひ弱だった幼い日に、育ての親ともいうべき伯母さんが、漢方薬を飲ませるために使っていた匙だった。
この匙から、伯母の無限の愛情に包まれた作者の幼い日が蘇ります。ひ弱である、との理由からひたすらに過保護に育てられた子ども。5歳の歳まで伯母さんの背中に負ぶわれていた。ほしいものは、言わなくても、あれやこれやと気を使って目の前に差し出してもらった。初めての友だちは、厳選の上、おとなしげな女の子が選ばれ、慣れるまでは、と伯母がつきっきりで、そこにいた。学校に上がることを嫌がれば、教室までついていき、その後は負ぶって送り迎えもしてくれた。
いじめられても、叱られても、かわりに謝ってくれたのは伯母だった、抱いて逃げてくれたのも伯母だった、一緒に泣いてくれたのも伯母だった。
男の子達にまじって相撲や蜻蛉がえりなど一度もしたことがなかった。小学校のころの遊び友だちはいつも隣近所の少女で、まりつき、お手玉、綾取りをして遊んだ。
そうして育った子どもは、早熟で憂鬱な表情のプライドの高い少年に育った。

ただ、この少年は、美しいものをこよなく愛したのです。
作者は、幼い日の自分に立ち返り、そのころの目で、自分の気持ちや、身の回りにあった美しいものを描写していきます。
思い出の中の自分の子ども時代。好きだったものや、哀しかったこと、うれしかったこと、どうしてあんなふうに思ったのだろう、大人の目から見たら何もかも違うふうに見えるものを。でも、作者は、ただただよいも悪いもなく、子どものころに見たまま感じたままを絵草子のように広げて見せてくれるのです。
美しい古風な文章。詩のような文章。読んでいてなんとも心地よく、思い出のなかの平和な温かさに浸ってしまいます。この文章に包まれている幸せにほっとします。

伯母さんが添い寝しながら語って聞かせたさまざまな寝物語に息をつめて聞き入り、どの話もあまさず覚えていていつでも取り出せる財産となった。
大切にしていたおもちゃ箱の中には土製のお犬様、丑紅の牛、ほら貝に紐をつけたものなど。伯母が菊の花を摘んでつくってくれる菊毛氈は匂いもよく、亜剌比亜模様のように美しかった。
夏の夕がたの遊びは、「夕ばえの雲になごりをどどめて暮れてゆくのをみながら もうじき帰らなければ と思」いながら名残惜しく過ぎ行く時間の楽しさ。刻々と変化していく夕暮れの風景の美しさ、一日の終わりの平和さ、ほっとするようでもある寂しさに、心和むのです。
狭い窓と箪笥の隙間に潜り込んで、じっとしているのも好きで、そこからみえる庭木のあれこれの姿やその日その日で変る陰影などの描写にも、心やすらぐのです。箪笥の横には、いくつもの平仮名の「を」という字を書いていました。「を」は坐った女の形に似ている。弱い子どもはその字に慰謝を求めていました。

やがて、戦争が始まる。少年の前から美しいもの、優しいものが姿を消し、学校の修身の授業は、戦意高揚を意図しての授業になってきます。
少年は反発して先生に尋ねます。「大和魂があるなら支那魂だってあるでしょう」「敵を憐れむのが武士道だなんて教えておきながらなんだってそんなに支那人の悪口ばかしいうのです」
しかし、少年は決して正義感や戦争に対する特別な考えがあったわけではないのです。彼はただ、美しいものを愛でていたかっただけ。戦争は彼の美意識から外れる、というだけだったのです。
とはいえ、このころには、伯母に負ぶわれて、ほしいものをほしいとも言えなかったあの子どもの姿はないのです。同級生を見下し、大人の中の子どもっぽさを恐れずに指摘する、ある意味傲慢なまでに自負心の強い少年が現れていました。
けれども、そんな彼の奥深くには、寂しく引っ込み思案の純情な心が宿っているのです。風のそよぎ、小さな星の瞬き、波の音にさえ涙する豊かな感性が宿っているのです。それが見える人はなかなかいなかったかもしれません。
それは、兄との確執にも現れています。
その感性のちがいから、やがては袂を分かつことになる兄でしたが、兄は、本当に誠実な人であったのだ、と思います。世間一般の通念から外れたものを想像できる感性はなかったとしても。そして、その誠実さで女々しい弟を一人前の男にしてやらねば、と思ったのでしょう。
美しいものを見て、哀しいと思い、ただ涙を流す彼にとって、この時代を生きるということはどんなに残酷で辛かったことか。憂鬱症にも見えたでしょう。皮肉屋にも見えたでしょう。・・・彼の孤独を思うと切なくなります。

彼をささえていたのはこの感性の豊かさ、繊細さ、そして自分へのゆるぎない信頼であったでしょう。
それは、幼いときにひたすらにここまでやるかってくらいに過保護にくるみこんで育てられた人間の良くも悪くもの成長した姿なのです。
だけど、この過剰なほどの愛情があったから、ゆるぎない自己肯定感を持つに至ったのだ、といえると思うのです。確かに、彼の描き出す子どもの世界の、類まれな美しさには、引き込まれずにいられないのですから。

巻末の解説のなかで、和辻哲郎氏は書いています
「・・・それはただ正直に子どもの世界を描いたものであるが、作者は己の目で見、おのれの心で感じたこと以外に、いかなる人の眼も借りなかった。言いかえれば、『流行』の思想や物の見方には全然動かされなかった。」
「作者はおのれの世界以外にはどこへも眼を向けようとしない。いわんや文壇の動きなどは馬耳東風である。だからまたその作品は文壇の動きにつれて古臭くなることもない」
・・・この解説は昭和十年のものです。今は平成も20年を過ぎました。
文章は古くなりました。でも、この匂い立つような気品は古さだけに故しているものではない、独特の感性の豊かさを感じます。うぬぼれと決め付けられない自信さえも美しいのです。何よりもこの朧に明るい平和さに取り込まれ、ひととき酔いました。