ほとばしる夏

ほとばしる夏 (世界傑作童話シリーズ) (世界傑作童話シリーズ)ほとばしる夏
ジェイン・レズリー・コンリー
尾崎愛子 訳
福音館
★★★★


夏の喜びを夢中で味わっているさなかに、あるいは、森林管理官の老人との距離が縮まっていく過程を読みながら、
冒頭のあのシーンがふと蘇ってきてなんだか不安になるのです。
血を流して倒れている老人。
彼もまた他のたくさんの人たちと同じようにうそつきだったという冷ややかな言葉。
これはいったい何を意味しているのだろう・・・


13歳のシャーナと12歳のコーディ姉弟の父はある日黙って出て行った。
自分の夢を追うことが、家族よりも大切だったから。
引越しをして、母は新しい職場で、自分の居場所をみつける。
だけど子ども達は、この生活を受け入れられない。
父母のいる元通りの生活を祈るように夢見るシャーナに胸がいっぱいになります。


夏、川の傍の朽ちかけた小屋を借りる。
母の職場まで車で通えないこともない場所。
ここで昼間は姉弟二人で過ごす。
この場所の美しさ。まさに「ほとばしる」ような自然。
二人でする釣り、冒険。思いがけない場所の発見。ときどき一人で過ごす場所。洞穴のなかのシャーナの世界。
日記を書き詩を書き、内緒でパパに手紙を書き、自分自身の気持ちと向かいあう。


そんな日々のなかで出会った森林管理官と名乗る偏屈な老人。
「ふつうの人がやわらかい絹でできているとすると、わしはなめしていない硬い皮みたいなものでな」
と自分で言うような変わり者の偏屈じいさんです。
人よりも川に対する愛の方がずっと強いのでした。
やがて少しずつ近付いていく子ども達と老人。
やがて、森林管理官はコーディーにカヌーの漕ぎ方の特訓を始めます。
彼と過ごす川の生活が美しい彩を見せ始めます
森林管理官と姉弟のまじわりの美しさ、老いていく老人の姿。
見守る子ども達・・・知らず知らずのうちにいたわりが生まれている。
姉弟の亡くなったお祖父ちゃんの温かい思い出・・・
でも、ママの知っている父としてのお祖父ちゃんは、別の顔を持っていたことを知ったのもこの夏。
人間には、さまざまな面があることに気がつきます。
パパもママも・・・親子四人いっしょの時に、子ども達に向けていたのはたくさんの面のうちのほんの一面にすぎなかったのだ、と気づき始めます。
このしんとした人っ子一人いない自然の中で、今まで気がつかなかった家族のいろいろな顔が見えてきます。


森林管理官の小屋の質素な美しさが好きです。
そして、彼が子ども達に見せてくれる様々な森と川の不思議、美しさ。夢中になってしまいます。
絶滅のおそれのある小さな美しい鳥や魚。インディアンの遺した秘密のしるし。誰も知らない滝つぼ・・・
そして、いつのまにか二人は、森と川を守ることの重大さを肌で感じるようになっています。
だけど、それもまたこの子達の心の様々な面のうちの一面でしかないのです。
それでいいのです。
様々な面に新しい一面が加わったのだということで。


圧巻はカヌーでの川くだり。
物語が冒頭のシーンにやっと追いついたとき、姉弟は命がけでカヌーで急川をくだります。
それまで姉の方が上に見えていたのが、弟主導で、息を合わせて、たくみに岩をよけ、右に左に・・・はらはらしながら、夢中で読みました。


ほとばしる夏。
それは、自然の生命力のほとばしり。人の命の輝き。抑えていた感情の放出。
さまざまなものが一気にほとばしりでたような夏でした。
今その夏が終わろうとしている。

>岩棚のかげのわずかな土に根を張り、ひっそりと咲いている花。一列に並んで生えたオレンジ色の小さなキノコ。ハチドリ。洞穴のそばを流れる水のさざめき。今年初めて見る、南へ向かうガンの群れ。朝、私を起こして、キルトカバーの奥深くにもぐりこませる冷たい空気さえも――二度ともどってこない夏のかけらのすべてを、私はいとおしんだ。
夏が過ぎて、何が変わったのか。
シャーナは家族がひとりひとり消えていくことを知るのです。
泣きながら、一枚一枚写真を破いてストーブにくべる場面は胸に迫ります。
最後のひとりとなったママもやがて消えてしまうかもしれない、自分の心の中から。
そうして、やがて一人で生きていくのだろう。
そんな不穏な思いを彼女は心にしまいながら、静かに何かを待つのです。
決して明るいきざしではないはずです。
だけど、それを受け入れる心の準備は整っています。覚悟もできています。
「人生には何度か、贈り物のような瞬間がある」と言っていたシャーナのお祖父ちゃんの言葉を思い出しています。
これまでの13年間の中の、そして、とりわけこの夏の思い出のなかの輝かしい小さな瞬間がシャーナの胸に蘇るのです。
>おばあちゃんは、まだ救えるものをつなぎ合わせて生かすために、糸を使っていた。でも私は、糸のかわりに言葉を使って、自分のキルトをつづっていくのだ。私の言葉は、語り、韻を踏み、歌い、ささやくけれど、ときには激しく叫びもするだろう。怒りもまた、私の物語の一部なのだから。
この本のなかのところどころに配されたシャーナの書いた詩がすばらしいです。美しいです。
一番最初の詩が好きです。
この詩を見た老人もパパもこれは自分のことを書いた詩だ、と思ったのがおもしろいです。
ええ、わたしも、私のための詩だと思いました(笑)


「ほとばしる」ような力強さに圧倒されるような物語でした。
そして夏のみどりと川の匂い、川風のさわやかさが残ります。
親の離婚問題。
言ってしまえばそういうことになるかもしれません。
でも、読後、それがほとんど意識に上ってこないのです。
生きていれば様々辛いことはある。理不尽な目にもあう。子どものときにも大人になっても。
そんな人生の中のひとつの場面です。
そして、どんなときにも「贈り物のような瞬間」はきっとある。
「救えるものをつなぎ合わせて生かす」方法を見つけることで、前を向いて生きていける、
それがキルトであれ、書くことであれ、ほかのどんなことであれ。
そんな気がしました。