かなしき女王

かなしき女王―ケルト幻想作品集 (ちくま文庫)かなしき女王―ケルト幻想作品集 (ちくま文庫)
フィオナ・マクラウド
松村みね子 訳
★★★★
発売日:2005-11


ケルトの神話を題材にした13の短編が収録されています。
力強くしかも美しい文章。不思議なリズムを感じて、いつまでもこの文章を読んでいたい気持ちになります。
どの作品もとても短いのに、まるで壮大な叙事詩でも読んでいる途中のような気がしてくる。

「女王スカァアの笑い」「かなしき女王」に、登場する女王は、スカイ島を支配する女神です。
英雄クウフリンへのかなわぬ愛。その愛ゆえに、残酷になる女王。人を殺して哄笑する女神の狂ったような姿には、残酷になればなるほど、恐ろしさよりも深い愛の悲しみを感じる。
そして、女王にそこまで狂おしく愛されたクウフリンは、これらの物語には出てきません。それなのに、女王の思いから鮮やかにクウフリンの姿が浮かび上がってくる。きわだって美しく凛々しく。

「海豹」も良いです。ほんとうに短い物語ですが、岩の上で歌う子どもの姿が白々とした月の中で輝く・・・その姿がまるで絵のように浮かび上がってきます。そして、この子の歌う詩の寂しさ美しさ。(訳に感謝です)

一番好きな作品は、「琴」でした。美しい娘エイリィの苦しみ。琴を弾くクレヴィンの苦しみ。
クレヴィンが琴の名手だというのがたまりません。美しい旋律を奏でる琴から、破壊の曲を弾かなければならなくなったクレヴィンの姿が痛々しい。残酷な運命です。そこに「琴」が入ることで、幻想美をもりたてているような気がして、好きです。
最後の一行の抑えた文章に篭められた深い哀しみ。

どの作品も残酷さと美しさがともに描かれています。そして、起こったことだけを淡々と描写していきます。「なぜそうなるのか」「どうしてそう考えるのか」などという説明は一切なし。そのときどきの人びとの思いも必要最小限しか描写されません。それも神話や民話らしい感じ。
短い物語の奥には書かれなかった百万の言葉が眠っているように感じました。

それからもうひとつ感じたのはキリスト教との深い関係。ケルト文化とキリスト教が混ざり合って不思議で独特の美しい世界観を感じる物語がいくつもありました。
たとえば、「最後の晩餐」のイメージ。ダ・ヴィンチのあの有名な宗教画に見るイエスと、この物語のなかのヤソとは明らかに隔たりがあります。あのテーブルにつく12人も、ユダのイメージも。ああ、ケルトの地を踏むとキリスト教もこうなるのか、という感じ。とても示唆的で、美しい夢のようで・・・なのに土くさいのです。アイルランドの土のにおいです。ケルト文化と新しい宗教の幸福な出会いといえるかも。
逆に、「精」という作品のなかでは、ケルト神話に対立するものとしてキリスト教が描かれている。どちらかが屈服すべき存在として。
作者は、これらに対して、どの考え方にも組していないようです。ただ、あるがままに、こういう時代だったのだ、と融合も対立も受け入れているように感じる。
思い浮かぶのは、日本史の中のキリスト教伝来。日本の風土の中でゆるやかに土着信仰と渾然一体となって広まっていったキリスト教。そして、許されたり迫害されたりの歴史。この物語の世界と似ているような気がして、おもしろいと思いました。ケルト神話の世界が、日本の神話世界に似ているのかもしれません。

残酷で哀しい物語ばかりなのに、すべてがまるで泡のようで、あとに残るのはただ静けさ。波ひとつたたない静けさ。寂しいけれども平和があります。
「燈火節」の松村みね子さんの美しい日本語訳で読めたのもうれしかった。この幻想的な美しさと男性的な力強い文章こそ神話(本当は創作ですが)の魅力と思いました。