ケルト 装飾的思考

ケルト 装飾的思考ケルト 装飾的思考
鶴岡真弓
筑摩書房
★★★★


以前、「アイリッシュ・ハープの調べ―ケルトの神話集」を読んだときに、表紙や挿絵として挿入されたケルト独特の文様の美しさ不思議さに魅了されました。文様に意味があるのなら知りたい、と思っていたところ、この本を紹介してくださったかたがいました。感謝です。

アイルランドの地理歴史経済から初めて、神話や世界各地の文化との交流・変遷などを絡めながらのとても専門的な本でした。
難しくて正直わたしには半分くらいしか頭に入らなかったのですが(笑)、それなりの入門者でも、興味深い内容で、豊富な図版もうれしかった。

ケルト独自の文様は、古くは「ダロウの書」「リンディスファーン福音書」「ケルズの書」という修道院典礼用の福音写本に見られるとのことです。
文様は渦巻文様、動物文様、組紐文様の三種に分けられます。そしてこれら三種の文様は常に単一で表現されることはなく相互連動して表れます。

わたしは、まるで暗号解読のような本を、あるいは辞書のような本を想像していました。この図柄はこういう意味があり、その図柄にはこれこれの意味がある、というような・・・
でも、そんなに短絡的なものではないのでした。なんてつまらないことを考えていたことか、とちょっと恥ずかしいのですが・・・。
これらの文様は絵であり、デザインであり、何よりも美術品でした。
そこに、ケルトの人びとの思いが篭められていますが、わたしが思っていたよりもずっと流動的で複雑でした。
それは、祈りであり、呪詛でもありました。その思いがこの文様に力を与え生命を与えているように感じます。

ケルトが、初めも終わりもない<渦巻>や、くねくねと曲がりながらいつしか相手を絡めとってしまう<組紐>や、その二つながらの文様と結合する幻想の<動物>文様を偏愛したことじたい、誤解をおそれずにいえば、それによって変転や傾倒を無限に繰り返す世界像を視覚化したかったからではなかったか。
渦巻や組紐に比べれば、動物はわかりやすい意味を持って描かれます。猪と豚は、力と強さの象徴。魚はキリストのシンボル。鳥は不死・復活を意味する。

わたしが特に惹かれるのは、<組紐>文様。まるで一筆書きのように描かれた線。緩やかに結ばれた結び目。組み合わされた紐と紐の間に空いた空白。それらが複雑で美しい意匠になっています。
組紐に惹かれるのは、以前読んだ「アルネの遺品」のなかにある風を仕込んだ結び目の話に強く惹かれたからです。船乗りが大切にしているロープの結び目で、この結び目をゆるめると、緩め加減によって強い風や弱い風を結び目から放つことができる、というもの。この美しい挿話がずっと忘れられなくて、結び目の文様をみたとき、この話と結び付けてしまったのでした。

けれどもケルト組紐文様があらわそうとしているのは、解くことではなくて縛ることだったみたい。世界を呪縛する霊力を表しているらしい。そしてこういう結び目の文様はインドにもギリシアにもローマにもあるらしいのです。

>こうした「絡み」と「旋回」を融合させた表現は、ケルト装飾美術のひとつの精神、すなわち、運動が静止すること、連続が絶たれること、宇宙が閉じられることへの異常な恐れを表しているといえないだろうか。言い換えれば、増殖の可能性を無限に秘めた個体が、その増殖性を最大に視覚化する螺旋や曲線の構図のなかに投入されていく。そうした造形世界の創造を目指すケルトにとって<人間>や<身体>もまた、他の一切の存在とともに<文様>の宇宙に組み込まれていく対象なのである。
やがて、ケルトの文様はさまざまな変容を重ねながら、後年アールヌーボーのなかで再び息をふきかえします。ただ、ここにきた文様たちは、わたしの目には、もはや、ただの模様にしか見えない。いにしえの時代に奔放で荒々しい力を秘めていた文様が、パターンでしかなくなってしまった・・・そんなふうに感じるのです。洗練されてはいるけれど。

そうそう、ケルトの美術品として、美しいブローチが出てきました。クラレンドンブローチというのだそうです。昔、王女や貴族達が身に付けたブローチだそう。
この形、見覚えある。今、同時進行で読んでいる「かなしき女王」(フィオナ・マクラウド)の表紙を飾っているあの美しい形ではないの。あわててカバーの絵と図版を見比べました。そうか、ではこの絵は高貴な人が身につけるクラレンドンブローチだったのか、と知り、これはとてもうれしかった。