アンネの日記

アンネの日記―完全版
アンネ・フランク
深町眞理子 訳
文春文庫
★★★★


この本も小川洋子さんの「心と響き合う読書案内」でとり上げられていた一冊。
わたしは「アンネの日記」を読んだことがありません。あまりに有名な本、なんとなく内容を知っているような気がする、この年になって今更ね、などと思っていたのです・・・
小川洋子さんの読書案内に載っている本たちはみんなそんな感じだったのですが、「本当は何も知らない、読まなきゃだめじゃん」と思わせてくれた。それでは、その気持ちが消えないうちに、読みましょう。題して「鉄は熱いうちに打て読書」である。

13歳の誕生日から書き起こされる日記。
やがて、隠れ家に移り住み、14歳になり、15歳と1ヶ月半の1944年8月1日の日付で、ふつっと終わっている。
アンネ・フランク楽天的な自信家、繊細な感受性の持ち主、才長けて機知に富んだ少女。
どこにでもいる少女。そしてどこにもいない(この世にたったひとりしかいない)少女。
彼女の書くことは多岐にわたります。文章もすばらしいのです。14歳でこれだけ書くのか!と舌を巻くほどに。読者としては、彼女の世界に引き込まれ、最後まで飽きることがありません。
本当に、これが14歳の少女の文章なのでしょうか。

隠れ家という狭い閉じられた世界。あまりに密すぎるための人間関係の確執。
彼女は自分の思いを日記に記した。書くことで、内省し、考えを深め、成長した。このわずか二年ちょっとの歳月のあいだの彼女の成長は驚くばかりです。
あるときは手放しの怒りの放出、あるときは歓喜の歌。ときどき痛烈な皮肉。ともすれば感情的になりながらも、その気持ちを整理し、冷静に分析している。その分析が月日を追うごとに深く鋭くなってきている。
そして、彼女の文章は、常にユーモアの一刷毛を忘れません。それは暗い日々であればなおさら、一歩さがった場所から自分たちの姿を客観的に観察しようとしているよう。
・・・日記のテーマは画一的になることなく、辛いときにも愚痴に終わるのではなく、若い希望と喜びがにじみ出ているのです。この閉じた世界の中で、この囚われの日々の内で。

お母さんに対する気持ちも「どうしてもわかりあえない」と言いながら、お母さんを一方的に責めるのではなく、彼女の自分に対する愛情をしっかり受け止め、自分もお母さんを愛していることを認めながら、ひとりの女性として信頼もしていながらも、納得できないこと、矛盾した言動に対する批判や感性の違いなどをしっかり自分の言葉で綴っている。(・・・ぎくっとしますよ、わたしが言われてるみたいで)
一緒に暮らす人たちとのいざこざについては、時におもしろおかしく描写し、それが痛烈な皮肉になっているのです。
この時代にユダヤ人であること、そこから、民族同士が憎み合うのではなく、民族を超えて、ただその行いの卑劣さや正しさについて考えを深めようとしている文章など、すばらしいです。
さらに、戦争の行方について、家族や隠れ家に暮らす人びとに対する自分の気持ち、初々しい恋心について、将来の夢について、若々しい感性のほとばしるままに、自分の考えを滔々と語るのです。

書く、ということが、自分をみつめるためにどれだけ大きな役割を果たしていることか、と改めて思います。アンネが、この特異な状況の中で、日記を書くということで、自分を客観視し、日々磨かれていく文章に驚いてしまいます。そして、その瑞々しい感性に。もし彼女が生きながらえることができたらどんな文章を書いたのだろうと思います。(アンネは作家になりたかった) 

>わたしたちのなかに芽生えた理想も、夢も、だいじにはぐくんできた希望も、おそるべき現実に直面すると、あえなく打ち砕かれてしまうのです。じっさい自分でも不思議なのは、わたしがいまだに理想のすべてを捨て去ってはいないという事実です。だってどれもあまりに現実ばなれしていて、とうてい実現しそうもない理想ですから。にもかかわらず、わたしはそれを持ちつづけています。なぜならいまでも信じているからです――たとえいやなことばかりでも、人間の本性はやっぱり善なのだということを。
 最後に、ドイツに占領されたオランダ、物資も不足し、自分たちも食べるのがやっとの状態で、もし見つかったら投獄される危険を侵しながら、アンネたちユダヤ人を匿い、彼らが常に人間らしい生活ができるように手助けし、食料や日用品、ニュース、子ども達の通信教育や、様々な雑用までを請け負い、運び続けた人たちの勇気と尊い心に、感銘しないではいられません。とくに捕らえられたアンネたちが帰ってくることを確信し、その日までアンネの日記をページを開くことなく大切に保存したミープさんに。