心と響き合う読書案内

心と響き合う読書案内 (PHP新書)心と響き合う読書案内
小川洋子
PHP新書
★★★★


ラジオ番組で放送された一年分をまとめた本です。
紹介されている本は、読んだことがあるものも読んだことのないもの(こっちのほうが多い^^)もありますが、どれも作家の名前か本のタイトルか、どちらか(ほとんどは両方とも)間違いなく聞いたことのあるものばかり。そう、よく知られているベストセラーや古典など、なんです。
ああ、知ってる知ってる、という気持ちが先にきてしまって、その本を味わうのが二の次になりそうな本ばかり、ともいえるかもしれません(あ、私の場合だけに限ります^^)
・・・そんな本たちが小川洋子さんという感性のフィルターを通して語られると、未読の本なら「そんな魅力的な本だったなんて。今すぐ読みたい」、既読の本なら「そんな本だったのか、気がつかなかった、再読しなくちゃ」と思い、どちらにしてもどきどきして、読みたい読みたい読みたい!となってしまいました。

既読の本の紹介のなかで印象的なのは・・・
「窓ぎわのトットちゃん」、わたしはこの本のなかのお母さんの存在をまったく覚えていなくて。トットちゃんが挫折を感じずにのびのびと大きくなるためにお母さんがどんなに大きな役割を果たしたかという話に驚いています。今、改めて母親としてこの本を読んでみたいと思っています。
「夜と霧」についてはその語りに圧倒されました。この本、わたしは十代で読みました。十代なりの衝撃と感動がありましたが、その後再読したことはありません。今読んだらどうなのだろう、これもぜひ再読したい本になりました。
小川洋子さん自身がホロコーストに対して深い思いを抱いていらっしゃるせいか、ホロコーストを扱った本の紹介に熱いものを感じ、打たれる言葉が多いのです。
万葉集」は、既読、とはいえないけれど、学校の授業以外の場所で読もうとは思ってもいませんでした。「必ずこの中に、もしかしたら自分のために詠まれた歌ではないだろうか、と感じる一首があると思います」なんて言葉に出会ってしまえば、一冊飛ばし飛ばしでも、手にとって、私のための歌を探してみたくなります(問題は読みこなせるかどうかですけど)

それから未読の本では・・・
まず、「アンネの日記」読まなくては、と改めて思いました。自分も嘗て少女だった。そして今はその年頃の娘の母でもあります。
中勘助の「銀の匙」の少年もとても気になります。武田百合子さんの「冨士日記」もぜひとも読んでみたい。
そのほか、「園遊会」、「十九歳の地図」「風の歌を聴け」「檸檬」・・・魅力的な紹介がいっぱいで、出てくる本出てくる本みんな読みたくなります。

小川洋子さんが、あるときは一読者の目で、またあるときは本の著者と同質の作家の目で、本を紹介してくれる、というのもよかったです。
作家であり読者でもある小川さんが本と私の真ん中に立って、こちらに本を手渡してくれるような気がして、安心して受け取れるのです。好きな作家として、小川さんの感性を信頼しています。
たけくらべ」の最後の場面に触れて、
「よけいなものは書かない。書かないということは勇気のいることです。書いたほうが楽なのです。ぎりぎりのところで書かないというところに、一葉の文学に対する覚悟の強さを感じます」
と言う言葉に、一葉を語りながら、小川さん自身の書くことに対する真摯な姿勢を垣間見るようで、ハッとするのです。
また、「星の王子さま」で、気が合わない人の本棚にもし「星の王子さま」があったら、との前提で、「この人も『星の王子さま』を読んでいる。それを通して心が通じ合えるのではないか、そんなふうに人と人の心をつないでくれる本だと思います」との言葉に読者としての小川さんのかわいらしさを感じて、思わず顔がほころんでしまいます。この感覚なんとなくわかるなあ、と思って。

「心と響き合う」というタイトルがいいです。響き合う、とは、何と何が響き合うのでしょうか。紹介される本と読者である私、小川洋子さんと私、それから同じ本を読んだ顔も知らないたくさんの人たちと私。なんだかうれしくなってしまいます。

そうそう、「まえがき」がよいのです。読書のよろこびにわくわくしてきます。
以前この本を紹介してくれた方のブログで引用されていた言葉なので、ここで同じ言葉をとり上げるのは気がひけるのですが、私自身の心覚えのために同じ言葉をここにメモさせてくださいね。

>どれほど時間が空こうと、本はちゃんと待っていてくれています。年齢を重ねた自分に、必ずまた新たな魅力を見せてくれます。本は、人間よりもずっと我慢強い存在です。
読みたい本がいっぱいあって、わくわくして、あれもこれもと欲張って次々手を出してしまうのですが・・・待っててくれるんですね。本は。とても幸せな気持ちになります。