サーカス象に水を

サーカス象に水をサーカス象に水を
サラ・グルーエン
川副智子 訳
ランダムハウス講談社
★★★★★


90歳(または93歳)のジェイコブは、老人介護施設にあって、その思うように動けないからだと心をもてあまし、日々気難しくなっていた。
ふとしたきっかけから23歳のころの自分を思い出す。
回想は日々鮮やかになり、90歳(または93歳)のジェイコブと23歳のジェイコブの、どちらが夢でどちらが現実か、わからなくなるような朦朧とした状態のうちに物語は進んでいく。

大学卒業後は獣医となって父の仕事を手伝うはずのジェイコブだったが、その卒業の手前で、両親を交通事故で失う。残された財産もなく、いきなり世間に放り出された彼は、失意のままに、走る列車に飛び乗る。それはサーカス列車だった。(フライング・スクアドロン。名前だけでわくわくする。)
そして、流されるように、サーカスに専属獣医としてやとわれる。

サーカスの妖しい魅力。大恐慌の真っ只中のアメリカ。人々を魅了するサーカス列車の到来。
風船、ポップコーン、レモネード、妖しい色のついた不思議な飲み物。
大テントに動物のパレード、妖しげなフリークスたち。羽飾りや輝くスパンコール。
日常からはずれた、少し妖しげな、たまらない興奮が街中を包み込む。
だけど、ジェイコブはその華やかな世界を裏側から見ることになる。
不潔な生活環境。裏方達へのひどい仕打ち。動物達への虐待。
人間模様。非道で残酷な団長。二面性のある不気味な演技主任。馬達を操る美しいパフォーマー。見かけによらず博識で友情に厚いフリークスのピエロ。そして、芸ができないらしいサーカス象・・・
そういう環境の中で、ジェイコブのまわりには、あるいは彼自身に起こったことも含めて、恋があり、友情があり、秘密があり、殺人がおこり、冒険がある。
読むほうは、どきどきしたり、わくわくしたり、はらはらしたり、何と忙しいこと。この摩訶不思議な妖しい世界のなかで、それらの事件のひとつひとつが読者を幻惑します。
表舞台の華やかさと裏腹の非道がまかり通るサーカスの裏社会の中で、ジェイコブはもまれ、一夏を経て、一人前の大人になっていく・・・

忘れられない数々の場面。
ピエロのウォルターが一番好きだった。彼の話をもっともっと聞きたかった。誇り高いウォルター。
それから絶対忘れてはいけない象のロージー。ロージーとジェイコブが心通わせていく過程が素晴らしくて、ロージー、なんとチャーミングな存在なのでしょう。そして、賢い。

ジェイコブがサーカスにやってきた最初の一夏のなんと濃いことか。この一夏の若き日のジェイコブの物語だけで充分に堪能できるのです。過酷で摩訶不思議な環境のなかで、ひ弱な若者(けれどもひたむきで無鉄砲)が大人の男へと成長していく物語として。サーカスの物語として。

だけど、それだけではすみません。
サーカスは、老ジェイコブの70年以上も前の回想の物語なのです。現在の90歳のジェイコブの物語があるのです。
老人施設のジェイコブは、当然のことながら、若い日のジェイコブのような活動的な日々をおくっているわけではありません。
静かで平和な日々。大切に介護され、栄養と静養第一、何一つ難しいことはさせられず・・・管理され、生きていることさえ実感できないくらい静かな生活なのです。
でも、彼の心の中は決して平和ではないのです。老後にこんな日々が待ち受けているのか、と思うと暗澹とし、痛々しくて辛くなります。
23歳のジェイコブの命がけで生き抜く物語と同時進行のように現れる90歳のジェイコブのひたすら静かな(ことさら惨めな)物語が、物語に一層の深み厚みを加えます。・・・いえ、実はこの二つの時代の物語は、ともに、一つ方向を向いて走っていたのです。二つが重なり合う瞬間まで気がつかなかったけれど。

何もかも終わった、と思ったのです。
冒険は終わった。ほっとした。ショーはおしまい。夢から覚める時間。もうこれで幕を引くばかりなのだ、と思っていました。
そうしたら、最後の最後に、ふいに、動いたのです。動いた、ということさえ気がつかなかった。だけど、なんと大きな決断だったのか。この小さなそよとした動きがこの物語の中の、実は一番素晴らしい勇気ある痛快な冒険だったかもしれないのです。
ああ、なんというラストシーンを作者は用意していたのでしょう。何と美しいシーンを。
ここで23歳と90歳(あるいは93歳)のジェイコブがやっと一つに結ばれる。そして、老いと若さを超えて、常に変わらない輝きをくっきりと見せてくれるのです。さんぜんと輝く光を。
この感動と余韻に包まれて本を閉じるうれしさ。これぞ物語の醍醐味と思うのです。