時の扉をくぐり

時の扉をくぐり時の扉をくぐり
甲田天
BL出版
★★★


江戸の人気浮世絵師歌川広重のもとに、死んだゴッホが亡霊となり、時空を超えて会いに来た。
日本の浮世絵に憧れ、日本を焦がれたゴッホ
日本の巨匠と西洋の巨匠を引き合わせるなんて夢の共演ではないか。突拍子もない設定、と思いつつ、もしこんなことがあったら、どんなにおもしろいだろう、とわくわくしてしまいます。

そして、広重に会ったからには、葛飾北斎にも会いたい、是非合わせてほしい、というゴッホの望みをかなえるため、広重とその弟子佐吉、通辞としての又造は、ゴホ殿(=ゴッホ)をともない、小布施で絵を描いている北斎を訪ねて旅にでます。

何日もかかる長い旅なのに、たいした事件もおこりません。ゆるゆるとした平板な旅です。(一度広重が追いはぎに襲われてはいるが)
この平板なはずの旅が、かなり読ませてくれます。
広重とゴッホの絵の旅なのです。そして日本の絵と西洋の絵の違い、さらに日本人の心と西洋人の心のありようの違いまで迫ります。
ことに、自画像など描いたこともないという北斎と広重に、ゴッホが自画像について熱く語る部分は忘れられません。
そういえば、明治時代以前の日本に、自画像を遺した芸術家っているのでしょうか。考えてみたこともなかったのですが、今のところ思い浮かびません。そこから見えてくるのは西洋人と日本人の「自我」そのものの差でしょうか。

旅の途上、ゴッホがスケッチをするのを見て言葉を失う広重たち。佐吉は独白します。

>なんというちがいだ。お師匠さんの絵とはまるで違う。美しいか?おいらは首をかしげてしまう。心が安らぐ絵か? いや、むしろ心が沸き立つ絵だと答えよう。
また太陽の画家ゴッホが、広重の絵をみて「私は月を描いた記憶がない。広重の月には表情がある。この絵には満月がよく似合う」との言葉に、二人の画家の違いが太陽と月であらわされるのをおもしろいと思いました。

そうして二人の芸術家と二つの国の文化の差を際立たせながら、広重とゴッホという二人の画家の共通点に至ります。二人にとって絵とは命そのものなのだ、という思いに圧倒されます。
広重とゴッホ、そして、北斎と広重。彼らの絵は命そのもの、人生そのものなのだ、ということが、供の佐吉や又造という若者の人生観にも深い影響をを与えていくのです。
自分の命をかけるに足るものを改めて模索する若者の姿に清清しく感動します。
とても真面目な一本の筋のぴしっと通った物語でした。太田大八さんの挿絵もよかったです。

日本の風景を描くゴッホ。もし、本当にこの地でゴッホが絵を描いたらどんな絵を描いただろう、と想像します。
また、ゴッホの絵をもし本当に北斎や広重が目にしたなら、その後の彼らの絵の中にどんな影響が現れただろうか、と想像します。