アル・カポネによろしく

アル・カポネによろしくアル・カポネによろしく
ジェニファ・チョールデンコウ
こだまともこ 訳
あすなろ書房
★★★★


最後の一文がすごくすごくすごくいい。にくいったらない。
最高の読後感にありがとう、と言いたい。


まず、物語の舞台と設定を知れば、それだけでどんなにおもしろいか、よくわかるはずです。
1935年のアルカトラズ島ですよ。そう、泣く子もだまるアルカトラズ刑務所。
当時ここに暗黒界に君臨したアル・カポネが収監されていたという。
(しかも、この暗黒界のキングは、アルカトラズ島の洗濯場で刑務官やその家族の服を洗濯するという末端労働をさせられていた、というのだから、なんとも愉快)
アル・カポネってどんな人物だったのだろうか。
有名なギャングの名前よね、という程度にしか知らないわたしですが、簡単な紹介がさりげなく物語に挟まれているので助かります。
暗黒界に君臨したギャングの中のギャング。怒らせたら怖いけど、鷹揚なところもあったりする。
貧しい人たちのためにシカゴで最初のスープキッチン(給食施設)を開いたのも彼だそう。


この島には、刑務官の家族達用のアパートがあり、当時子供たちも結構な数、暮らしていたという。(史実だそうです)
ここに引っ越してきたフラナガン家の子ムースが主人公にして語り手。
そして、彼と姉のナタリー、それからここに元からいた四人の子供たちが主な人物。
彼らにとってはアル・カポネはある意味ヒーロー。一目会えたら幸せだと思っている。


子供たち(なんと個性的な子供たち)の小さな社会。
あの強烈なパイパーは印象に残ります。それと可愛い世話焼きテレサも。
子供なりの不条理への憤りも、トラブルを上手に切り抜けようとする知恵などにも、読者としてはハラハラさせられ、振り回される振り回される。
そのくせ、なんとなくその奇妙な陰謀の数々を楽しんだりもしています。
アル・カポネのママなんてでてきたときは思わず、にやり。ほんわか。


だけど、なんといってもムースの姉ナタリー。彼女は、今でいう自閉症、とのこと。
彼女のモデルは作者の実姉であるといいます。
だからナタリーの存在の確かさも、その閉じた世界の透明さ・不透明さも、
それから彼女と接する家族の愛、戸惑い、苦しみもリアルに伝わってくるのです。
とくにナタリーといつも一緒にいるムースの複雑な心情にこちらは激しく揺さぶられるのです。
ものすごく一生懸命だけれど視野の狭い母親の激しく揺れる思い、公平な広い心を持っているけれど忙しすぎる父親・・・
二人ともなかなかもう一人の「普通の」子供のことまでフォローできない。
ムースが置かれた状況に心は痛むのですが、親たちを責めることなんてできない。
ナタリーのような子供を抱え必死になっている親たちをどうして責められるでしょうか。
彼らのいっぱいいっぱいな生活がわかりすぎるほどに伝わってくる。
どうしても二人でいる時間が長くなるムースとナタリー。良くも悪くも。
ムースとナタリーの間に通うものに、胸がいっぱいになってしまう。
そして二人を囲む子供たちの当惑やストレートな優しさに。


忘れられないとても好きな場面があります。
夕暮れの船着場の片隅。
ふとした弾みで自分の世界が壊されて閉じこもり固まってしまったナタリーに、子供たちが近づき、寄り添おうとする場面。それぞれのやりかたで。
それぞれの優しさで。それぞれに静かに。
その静かな優しさに、思わず言葉をなくしてしまいます。
浮かび上がる子供たちのシルエットの一瞬の美しさに感動してしまう。
ナタリーを囲んで、子供たちのつなぎ合う心が、たまらなく温かくて。


ムースが、最後にぎりぎりのところで、姉のために力を振り絞ってやろうとしたことに泣けてきます。
このあと本当はどうなるのか、本当にこれでよかったのかは誰にもわからないのですが・・・
たぶんずっと試行錯誤かもしれないのです。その初めの一歩かもしれないけど、確かに光が近くにあるような気配がうれしい。


意味ありげに語られるアル・カポネは一度もでてきません。だけどだけどアル・カポネ
読み終えたら彼の大ファンになっていました。