生きるとは、自分の物語をつくること

生きるとは、自分の物語をつくること生きるとは、自分の物語をつくること
小川洋子河合隼雄
新潮社
★★★★

>中学生や高校生は、しゃべらないんじゃなくて、しゃべれないんです。


>「頑張れよ」というのは、つまり「さよなら」ということです。


>一緒に苦しんでいるんやけど、望みは失っていない。望みを失わずにピッタリ傍におれたら、もう完璧なんです。だけどそれがどんなに難しいか。


>みんな生きるほうにちょっと心を奪われすぎて、死ぬことを忘れているから変なことが起こってくる


>死に続く生、無の中の有を思い描くこと、つまり物語ることによってようやく、死の存在と折り合いをつけられる。物語を持つことによって初めて人間は、身体と精神、外界と内界、意識と無意識を結びつけ、自分を一つに統合できる。


>何の考えもなく付けた名前が、作者の手を飛び立ち、物語の中で自由自在に動き回っている。作者には内緒でこっそり小さな秘密を仕掛けてゆく。読者の誰かがその秘密に気づく。作者を置いてきぼりにして、ルートとその読者だけがそっと目配せを交し合う。このイメージは私を幸せな気持ちにしてくれます。

たくさんの薀蓄のある言葉たちに途中からいちいち付箋を貼ることもあきらめてしまいましたが、もっともっとおふたりの対談を聞いていたかった。
「続きはまた今度にしましょうか。」という河合さんの言葉で終えた対談。続きの対談は持たれませんでした。河合隼雄さんが亡くなったからです。
これが最後の対談となり、「考える人」の河合隼雄追悼集に載ることになってしまった。
ブラフマンのことから語られるはずだった次の対談、聞きたかった。
おふたりの静かで誠実な人柄が詰まった対談。河合さんの本をもっと読みたい、そして、小川さんのことがますます好きになりました。
死の照り返しで輝く生は、最近読んだ「猫を抱いて象と泳ぐ」でも「ミーナの行進」にもちゃんと描かれていたのです。
思えばそれは特別ではないのですね。
遠く「源氏物語」から描かれてきたこと、わたしたちが生きるうえで忘れがちだけれどいつでも隣にある不思議(不思議、だと思うのです)

最後に河合さんのすてきな薀蓄のある言葉をここに記しておくとしよう。

>こだまとやまびこの差は知ってますか。東京駅で「おーい」って言うて、東北の方から返ってくるのが「やまびこ」、関西の方から返ってくるのを「こだま」って言うの。
笑・笑・泣笑・・・ありがとうございました。
改めて「続きはまた今度にしましょうか」という言葉をかみしめます。「続き」はずっとずっとわたしたちが生きていく限り続いていくのだと思います。
わたしは自分でそれを紡いでいきます。これから出会うたくさんの人たちといっしょに・・・