ナイフ投げ師

ナイフ投げ師ナイフ投げ師
スティーブン・ミルハウザー
柴田元幸 訳
白水社
ほぼ★★★★一部★★★★★


・・・第一どんなジャンルに属する、というのだろう、この短編集は。
訳者柴田元幸さんに寄れば、

ミルハウザーを好きになるということは、吸血鬼に噛まれることに似ていて、いったんその魔法に感染してしまったら、健康をとりもどすことは不可能に近い(訳者あとがき)
とのこと。
うーん・・・なんとなくわかるような、わからないような。
一作目の表題作「ナイフ投げ師」で、あっというまにとりこになってしまったそのとき、すでに予感はあったのですが。

「ナイフ投げ師」
端麗な文章。研ぎ澄まされた言葉たち。どの言葉にも心がざわつくような魔法がかかっている。
そして、ナイフ投げというありふれた、または怪しげな芸の、その一線を越えてしまった、という名手ヘンシュが舞台にあがってくる。
わたしたちは観客としてその場にいることを余儀なくされ、その研ぎ澄まされた先にある極めつけの「芸術」を見極めないうちは動くこともできない・・・
ぞくりとする。ぎりぎりのところの疼くような不思議な感覚・・・喜びなのか痛みなのかさえわからない不思議な酔ったような感覚・・・

研ぎ澄まされれば研ぎ澄まされるほどに、極めれば極めるほどに滅亡に向かうしかないような・・・でも「耽美」ではない。こんなにも端麗なのに。ああ、もどかしい。何と言ったらいいかわからない。
・・・そして、私たち読者はこの12の短編の観客となり、最後の幕が下りるまで、ひたすらに息を篭めて見守るしかないのです。

お気に入りは「空飛ぶ絨毯」「月の光」・・・とても好きだ。
少年の夏の夜の壊れそうな冒険。それはちょっとブラッドベリの「たんぽぽのお酒」に似た甘美な切なさを感じます。
空とぶ絨毯は比喩ではありません。ほんとうに飛ぶ。夜の秘密の冒険にきゅっと胸を締め付けられるような感覚。はるかはるか高く高く、高く上れば上るほど墜落の不安にどきどきしてしまう。
月の光のなか、裏庭のベースボール、甘美でミステリアスな時間。
でも、ミルハウザーの少年は、ブラッドベリよりもっとぎりぎりのところにいます。
大人になる前の、というよりも滅びのふちでやっと均衡をとって踊っているような感じ。
わたしたち観客もぎりぎりのところで息をつめて見守るしかなくて・・・それだけにひっそりとした夜が冷たく美しくて。
(こういう作品をもっともっと読みたい!)

「夜の姉妹団」。思春期の少女の気持ちをかくも神秘的に描いて見せてくれるか、と思うよう。
    >それは高き壁であり、鍵のかかった扉であり、そむけられた顔である。
ですって! ああ・・・(ため息)
そして、未知のものを恐れるわたしたち大人の心を見事に見せてくれます。見たくなくても。
    >謎を恐れ、沈黙に疑惑の目を向ける私たちは、
    陰鬱な罪、実はひそかに私たちを安心させる暗い罪をでっちあげて団員たちを非難する。
    そうすれば彼女たちを知った気になれるからだ。
そしてこの物語の最後に配された一文があまりに甘やかで美しいのでくらりとめまいがしてしまう。消えてしまったはずの遠い過去から、少女時代の自分が現れて、月の光のなかを駆け去っていくような。

「ある訪問」の旧友の妻、「私たちの町の地下室の下」の町のものたち・・・これらが何者か知れば、ぎょっとして、そのあとフッと笑ってしまったりするけれど、やがて、でもそういう自分の価値観を恥じて下を向かせるような美しい世界を見せてくれる。それは迷路の奥にある完璧な美意識の姿なのかもしれない。

「協会の夢」「パラダイス・パーク」のなかに広がる満たされても満たされても、永遠に満たされきれない欲望の巨大な悪夢・・・
比べられるのはインターネットかな。この目の前の小さな箱。家の中にいながらにして、世界中どこにでも伸ばせる自分の手を思っていました。あまりに広すぎて思い通りになりすぎて、何を捕まえているのか、自分の掴んでいるものさえわからなくなっていないかな。・・・いやだ、こんな言い方したらすごく陳腐な世界に格下げだけど。

究極のナイフ投げ師スティーブン・ミルハウザー。彼が今ふかぶかと華麗にお辞儀をして、舞台には紅のカーテンが下りる。そして、天井のすべての照明が点く。ほっとして、まわりを見回してしまう。
ああ、明るい午後の光の中なんだ。
ああ、現実世界に戻ってきた。
これぞ小説の醍醐味。はじめて読んだミルハウザー堪能しました。