小さな手袋

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小さな手袋(小沼丹随筆集)
小沼丹
小澤書店
★★★


1950年代から70年代にかけて約20年間に書かれたものをまとめた本です。
旧漢字旧仮名遣いで、庭木、本、仕事、文壇知己の消息、旅先や出先あるいは居酒屋で見たり聞いたことなどまさにとりとめなく書き散らすように綴られたこの文集は、エッセイというより随筆、と呼びたい・・・「徒然なるままに」という言葉がとても似合う本だと思います。
古めかしく、のんびりとして、脈絡もなく、でもその文章はそこはかとなくおかしくて、しみいるようなやさしさを感じました。

自分は遠くのパン屋の店主で仏事の帰りに初めてこの店に寄った、と話す愛想のない男がバアの床の上に落としていった子供用の赤い手袋の包みをめぐるほんの小さな出来事。それがなんともいえない柔らかく奥深い味わいのある文章になっています。
また、井伏鱒二にもらった決して使えない細竹のステッキをめぐる話に、文学史でしか名前を知らない文豪の素顔を垣間見たような気がします。
文豪の素顔、といえばもうひとつ。半年暮らしたロンドンに定期便のように届く庄野順三の手紙の話に、庄野氏の温かく誠実な人柄がしのばれるようでした。おかしかったのは、事細かに先日食べたといううなぎの白焼きについて書かれた手紙。それを読んだ筆者が今すぐ日本に帰りたくなったとあれば、なんだかおかしくて。
腕時計をなくした筆者が、大学での講義のたびごとに、学生に時間をたずねるが、毎度終了時間を15分ほどサバを読まれる話にニヤリとしたり、
庭に来るキジバトを根気よく麻の実でさそっているうちに、鳥はいつのまにか家の中にまで遊びに来るようになった話にほのぼのとしたり、
テレビが普及し始めたころの著者宅やその周りの人々の顛末、ステッキを持つ人がいなくなった昨今(といっても今から40年も昔のこと)・・・昔に比べて人々が忙しくなってしまったと感慨深く。
その時代から現代はさらに隔たって・・・この文章のなかののんびりとした空気にわたしはほっとしたりしているのです。

旅の途上で出会った人とふと交わす雑談。話は忘れても、話した人のことはなぜかなつかしくいつまでも思い出す、そんな人がいます。取り留めもなく、あたりさわりもない話のあいだからちらちらと垣間見えるその人の奥行き――教養、人格のようなもの。そういうものにはっとして敬意を感じたり、あるいは共感から深い親しみを覚えたり・・・そんな人。
この本にもそんな匂いを感じました。