私たちがやったこと

私たちがやったこと (新潮文庫)私たちがやったこと
レベッカ・ブラウン
柴田元幸 訳
新潮文庫
★★


「体のおくりもの」のレベッカ・ブラウンの短編集!
と、思って読んだので、この本の独特な雰囲気に驚き、戸惑ってしまいました。
どの話も、まるで夢か妄想の中のできごとのよう。
カバーうしろの解説の「人間関係と愛の不条理さ」「幻想的」という言葉が、この短編集にどんなに相応しいか、改めて納得しています。

表題作「私たちがやったこと」は、ラブストーリーではあるけれども、決して美しくも楽しくもない。愛が深まれば深まるほどシュールでぞっとする世界が広がるような気がします。
互いが不可欠になるために、「私」は「あなた」の目をつぶし、「あなた」は「私」の耳を焼き聞こえなくした。
始まりからして、かなりショッキングで、出だしから腰がひけてしまいました。
最初の作品「結婚の喜び」でシュールで皮肉なぞっとする世界を体験してしまった後だったので、驚きというより「これもか」という感じではあったのです。
互いで完結するはずの愛・・・なのに、精神的なきずなと物質的なきずなのあいだにすきまができてきたような印象でした。読むごとに苦々しさが加速していくような感じ。
そもそもほんとうにふたりのあいだには愛があったのだろうか。ラストの衝撃的な場面・・・衝撃的だったんだよね。わたしはここにつくまでにへろへろに疲れてしまっていました。
衝撃というより「ああ、やっぱり」と思ってしまったのでした。わたしは誤解していたのです。これが外部のだれかによってもたらされたものだ、と思わなかったのです。彼(彼女?)が自分でやったことだと思ったのでした。だって、早晩そうなるような感じがしてましたもの。
読み終えてほっとしたような。

「アニー」も不思議な感じ。アニーってだれだったのか。「わたし」はだれだったのか。交互に語られるわたしの今と過去。それはどういう意味だったのか。最初まったく意味がわかりませんでした。
あ、もしかして、ここにはひとりの人間しか出てこない? アニー=わたし? そう思ったら、今まで意味不明だった物語に俄然色がついてきたような気がしました。
夢の世界での成功した人生・・・だけど、気づけば夢みたものとはかけ離れたもの。決してその夢に近づくことも触れることもできない。夢は夢でしかないのです。そして夢はひとり静かにひっそり見るものなのに。・・・あこがれはあまりにもあまりにも美しすぎました。なんともいえない虚しさ。でも、これは始まりの物語なんだ、と受け取りました。この物語は嫌いじゃありません。

「よき友」・・これが一番安心して読めて好きでした。やっぱり「体のおくりもの」の作家なんだ、とほっとした。
でもこの「幻想的」な短編集のなかでは、この作品がむしろ異色のように感じましたが。
病床の青年への主人公の友情・・・献身的で、ここまでできる友ってすごい、と傍目には思えるわけです。実際すごいのだけれど、単なる美談ではなく主人公の気持ちのさまざまな色が正直に描かれているのがリアルで、共感できましたし、だからこそ物語に感動できたのです。

>「腰抜けになっているときに話すのは嘘(ライ)。でもよかれと思って話すのはおはなし(ストーリー)さ」
「本当の話じゃなくても?」
「本当なのさ。よかれと思って話せばほんとうなんだよ」
ほとんどの作品が現実離れしていました。読むのに根性を要しました(そうまでして読まなくても・・・^^)
象徴的なイメージの、ブラックなお伽噺のように思って読みました。しかし、よくわからない作品ばかりで、さらにその雰囲気も決して心地よくなくて・・・消化不良の読書になってしまいました。読みこなせていません。
レベッカ・ブラウンの違う面を見た。本当に多才な人だなあ・・・