アルネの遺品

アルネの遺品 新潮クレスト・ブックスアルネの遺品
ジークフリート・レンツ
松永美穂 訳
新潮クレスト・ブックス
★★★★


15歳で逝ったアルネの遺品を片付けながら、そのひとつひとつを手に取りながら、
ハンスは過ぎた日の一こま一こまを振り返っていく・・・
アルネはなぜ15歳で死を選ばなければならなかったのだろう・・・

ドイツ、エルベ河に面した小さな町。その港町独特の雰囲気。空気の匂いまでわかるような詩的な文章。
そこで暮らす人々の地道で誠実な人柄――この土地の人々に共通の気質なのか、辛抱強く寡黙、強い信頼感を抱きあいながらもべたべたと密着しない人々がいる。廃船の解体工場を営むハンスたちの父、整備工のドルツ、警備員カルック(暗い過去を持つ寡黙な男、のちにはアルツとの親交が印象的)など、好ましい人々・・・
そんななかに12歳でやってきたアルネは、「天才」といっても差し支えないような聡明さ。
無邪気で独特の純真さは、たぶん、この地で育った同世代の若者には一種気恥ずかしいくらいにも思えたことだろう。一家無理心中の生き残り、という彼の過去も。

>そうやって、アルネ、きみはぼくたちのところに来たのだ。穏やかに辛抱強く。そうやって共に暮らす日々が始まったのだが、その歳月のなかできみは充分すぎるくらいしばしばぼくたちを困惑させたし、本当にぼくたちの一員になれるのだろうかと、ときにはきみのことで疑念を抱かざるをえなかった。というのも、ぼくたちが守ろうとしているゲームの規則や、真実というものが、きみにとってはまるで違う意味を持っていたからなのだ。
この本の語り手でもあるハンスは、常にアルネに対して、兄弟として友人として、温かく接してきたのですが、読み進めるうちに、わたしは、彼の(ティーンエイジャーにしては)老成した性格(そして抑えた語り口)に、われながら理不尽だとは思いながら、一種の歯がゆさといらだちを募らせてもいました。
もしかしたら、あまりにやさしすぎるハンスより、ずっとアルネに残酷な仕打ちをし決定的ともいえるような打撃を与えたラースやヴィープケのほうが、むしろアルネのことを理解していたのではないか、とも思えるのです。
アルネの過去を気遣い、彼の傷に触れまいとするハンスや両親はじめ大人たちの配慮は、
実は同世代の子供達から受けたいじめ以上に、アルネを深く傷つけ、孤独にさせていたかもしれないと思うのです。

豊かな感受性を持った稀有な魂、その一面ものすごく不器用でもある・・・そんな人間がこの世に生きていくことはそんなにも難しいことなのか、でもそう言ってしまうのはあまりに残酷ではないか。彼自身にとっても、周りの人間達にとっても。
この稀有な魂を入れておくためのアルネという入れ物は、多くの苦痛によって老人のようにひびだらけになっていたのではないか。
ハンスはアルネが老人のように疲れきっていたことに気がついてはいなかった。(だれよりも気遣ってはいたけれど)
ヴィープケはうすうす感じてはいたようでした。それについて深く考えをめぐらすことはなかったけれど。
彼女がアルネと接したときにふと感じたことがなんの説明もなく文中に投げ出されるように置かれている。

>きみ(アルネ)は突然とても年取ったように見えたらしいのだ。年取った目、年取った口。
将来の夢を語るアルネ。独学のフィンランド語。大切にしまっていた数々の宝物、紅白のひも、預金通帳に残された足あと・・・
そして、その後のあまりにも痛々しくて辛い日々。あまりにも切々と胸に迫るラストシーンの、あのゆっくりとした無言の動き・・・。
取り返しのつかない忘れ物。その忘れ物を取り返したくて、ああ、だけどアルネ・・・やっぱりどうしてなのか、どうしたらよかったのか、と何度も問いかけてみたくなるのです。
そして、その答えを探すように、もう一度最初からページを繰ってみる。・・・感動を再確認するための再読、というのとは別なのです。あまりにも悲しすぎて。ただアルネの足あとをさがしたい。
答えは見出せず、ただその文章は切々と美しく、まるでエルベ河からやってきた靄に煙るように、文章は途切れ途切れの余韻を残すばかりでした。