シズコさん

シズコさんシズコさん
佐野洋子
新潮社
★★★


佐野洋子さんのエッセイの歯に衣着せぬ物言いが好きでした。
ほんとはおとなしそうな顔して黙っているのがお利口さんな大人なんだろうに、言いづらいことをここまで書くのか、となんだかとっても痛快な気持ちになったものだったっけ。
だけど、この本では、その歯に衣着せぬ・・・がつらかった。
シズコさんが佐野さんのおかあさんだからだ。
・・・やめなよ。もうやめていいよ。そんなこと言わなくていいよ。・・・ほんとは、多かれ少なかれ誰もがそういうことはみんな知っているんじゃないか、わかっているんじゃないか、感じているんじゃないか。
だけど、それを直視するのはたまらないから、そこから目をそむけて、小ずるくなって、見ないようにしているんじゃないか。

佐野さんとお母さんの生涯の確執よりも、認知症を患ってからのおかあさんを追いかけるように読んでいました。
なんのかんのといいながら、呆け方にも品のある人っているものだ、と率直に感じました。被害妄想も、モノ取られ妄想もなく、大きな声も出さず、徘徊などもなく・・・
わたしももうこの年にもなれば、自分らの身内に介護せねばならない身がいたり、その予備軍がいたり・・・。事態に直面しながらも、ひたすら勇気も決断力もなくおろおろしてばかりいる。潔くも優しくもなれない。かといって鬼になれるわけもない。割り切れないから、溜め込む。そして、はては、自分もその道を歩くのか、とぞっとして、覚悟というにはあまりに生々しくて・・・。

ここまで親子の来し方をひたすらにみつめ、恨みも憎しみも嫌悪も、余すことなく書きながら、書けば書くほどに、その裏側の気持ちがにじみ出てくる。
母と子・・・その不気味なほどに不可解なきずな・・・

>人生って気が付いた時はいつも間に合わなくなっているのだ
と佐野さんは言う。
でもそれらはみんな、正気であれば言えなかった、言わなかった言葉。できなかったこと。
わかっていても、後悔するぞと知っていてもできない意地がある。
それを取り払わせてくれた境地がここにあるなら・・・少なくとも、言えたじゃない、できたじゃない。生身のおかあさんと・・・
こういう和解があってもいいじゃないか。ないよりはずっとずっと幸せじゃないか。
だから、そんなに自分を責めないで、悪ぶらないでよ。

そして、その行き着く先にある言葉が最後のあの一行なら、それはあまりに(ファンとしては)さびしい。長生きしてよ。もっともっと書いてよ、佐野さん。