幻の朱い実

幻の朱い実〈上〉幻の朱い実〈上〉  
石井桃子
岩波書店
★★★★★


幻の朱い実〈下〉
石井桃子
岩波書店
★★★★★



穏やかで、細やかな気遣いをする献身的な明子。
奔放で情熱的な蕗子。
昭和6年の秋、明子が大学を卒業して2年すぎたころ、大学の先輩後輩という間柄の二人が再会。
深い友情が結ばれていく。
結核を病んだ蕗子が亡くなる3年余の年月、色々なことが起こります。
世間は2・26事件、そして、太平洋戦争へ・・・
明子は結婚、やがて妊娠・・・

若い日の明子と蕗子の日々のモダンな暮らし。
牛肉のバタ焼き、ダンプリングのスープ・・・
一夏を避暑地で過ごす人々。
洋装の似合う明子。
私の祖母の若い日とは行って来るほどの違い・・・こんな人々もいたのだなあ、この時代に・・・と思ったとき、片山廣子の「燈火節」を思い出しました。「赤貧とはいえない、わたしはピンクの貧乏」と書かれた片山廣子の文章を。
そう、彼女たちは同じ世代。

明子と蕗子が二年連続、夏の一ヶ月をすごした房総の漁村・宇原(この本のもっとも輝かしい部分)は、ジョン・シングの「アラン島」(これも片山廣子の「燈火節」で知ったのでした)の光景を思い出させます。
素朴な漁村の人々との交わりも、「アラン島」に通じるところがあり、懐かしく温かいのです。自国の光景を他国のエッセイと比べて「懐かしい」だなんて、変なのですが、70年以上前の光景は、自国といっても、不思議に遠くて、まるで外国のよう。

明子が病床の蕗子に、自分が翻訳した外国の童話の原稿を読んで聞かせるところ。そのおはなしには、ぬいぐるみのくまや子ブタが出てくるのだそうです。・・・明子のモデルがまるまる石井桃子さんだとは思わないけれど、明子の一部は、確かに石井桃子さん自身だったのでしょう。

明子と節夫の結婚生活の、明子の寂しさは身に沁みました。
これだけの才能のある女性が、そして、身の回りのすべてのことに全力を尽くさずにいられない人が、結婚生活の中でエネルギーを吸い取られていくように見えるのが無残で労しかった。
そんな中で、献身的ともいえるほどに、寸暇を惜しんで蕗子に寄り添おうとする明子、そして最後までその激しさで人々をきりきり舞させ続けながら、最後の余力を明子との時間を充実させるためにだけ使おうとした蕗子の晩年のなんという労しさ、寂しさ、愛しさ。
最後のほうで、老いた明子に娘葉子が言う言葉、「ママ、いい友だちをなくしたママの気持、わかるつもりよ。あたしたちには、もうそういう友だちはつくれない・・・・・・」という言葉に同意します。わたしにもそこまで思える友だちはいない。
20代半ばで亡くした友のことを一生涯思い続けることができること・・・
蕗子という女性の類まれな輝き。彼女と関わった人々にとって彼女は一生忘れられない人になっていたこと・・・
夭逝しつつ、ずっと生き続けた人。
天女のような、妖精のような・・・
ほんとうは蕗子という女性は何者なのでしょうか。

下巻の終わりに近くなり、驚くようなことがわかります。自分が思っていた蕗子が別人のように思えるようなことが。
それは明子たちに小さな波をたてつつ・・・

この終わり方。ここまできて、初めて知るのです、わたしたちは、蕗子というものが明子にとって何者であったかということを。
明子は、新宿御苑で、娘葉子といっしょに烏瓜を見ます。(烏瓜。明子が蕗子に初めて出会ったあの日、蕗子の家の塀にそれはそれは美しい烏瓜がたくさんついていたのでした。)
明子は言います。

>「葉子、大津さんの烏瓜ね、この千倍も、万倍も美しかった! 千倍も万倍も! こんなもんじゃないのよ。あなたに見せたかった。そういうものも、この世にあるんだってこと!」
烏瓜は、蕗子自身でした。
明子がともに過ごした蕗子の魂に対する明子の言葉がこれでした。葉子でなくても、うらやましくなります。このように誰かと付き合うことができた人が。この言葉だけで充分。
献身的な明子、享受するだけの蕗子、のように感じたわたしでしたが、そうではなかったのですね。一生に渡って明子の人生を輝かせ、心に美しい灯をともしてきたのは、実は夭逝した蕗子のほうだったのですね。タイトルの「幻の朱い実」は、明子にとっての蕗子でした。

石井桃子さんが80歳を過ぎて初めて書いた大人の本。80歳という年齢だからこその本と思いました。