仏陀の鏡への道 (ニール・ケアリー2)

仏陀の鏡への道 (創元推理文庫)仏陀の鏡への道 (ニール・ケアリー?)
ドン・ウィンズロウ
東江一紀 訳
創元推理文庫
★★★★


前作「ストリートキッズ」のあと、ヨークシャーの荒野の小屋で、本に囲まれて満足な日々を送っていたニールのもとに、グレアムが仕事を運んできた。
化学肥料会社の天才科学者ペンドルトン博士を連れ戻すこと。彼はサンフランシスコの学会に出かけて、中国娘と恋に落ち、会社に戻ることも連絡をとることもやめてしまった。
これは「鶏の糞」みたいな仕事で、三日で片付けて戻って来い、と“父さん”は言う。
だけど、三日で片付くはずの「鶏の糞」が実はとんでもない陰謀の始まりで、ニールはやがて中国まで飛ぶ・・・

かわいそうなニール。
広がりも奥行きも、事件の複雑さも、前回よりずっと手が込んでいます。そして、ニールは前回よりもさらに過酷な体験をすることになります。
特に香港の九龍寨城(ウォールド・シティ)は怖かったよ。読んでいるだけで閉所恐怖症みたいになってホントに気分悪くなってしまいました。
香港に着いた途端、
  >「ああ、あれは九龍寨城。入ったら二度と戻ってこられない。迷宮みたいなもんだな。
  >「世界で最悪のスラムだ。政府もなければ法もない。道のどん詰まりってわけさ。」
・・・なーんて話を聞けば(読めば?)「ああ、いずれ、ここに入っていくんだろうな」って思うじゃないですか。そして、なんとなく嫌〜な予感がしていたのでした。的中☆ 最悪。

仏陀の鏡への道」というのは、ある画家が描いた絵のタイトルで、今回の冒険は、振り返ってみればまさに、この絵のテーマそのものだったとも言えるか、と思います。
(だけど、クライマックスはちょっと強引な気がしないでもない)

今回、(わたしにとっての)見所は、通訳の青年紹伍(ショー・ウー)との間に生まれた一風変わった友情、です。歯に衣着せぬ減らず口、下品なスラングの応酬がこんなに小じゃれた雰囲気にしあがっていて、適度に笑わせてくれながらも、二人が抱いてきた傷(歴史の傷、生い立ちの傷)、アメリカと中国という生まれ育った国の違いによる極端な考え方の溝は深すぎて最早「溝」とも呼べず、ただ切ないような暖かい思いが残る。
ニールはニューヨークでもロンドンでもヨークシャーでも、そして中国四川省でもまったく変わらない。好きです。この雰囲気。
紹伍の愛する「ハックルベリー・フィンの冒険」について、二人が語り合う場面、中国人とアメリカ人の感性や考え方の違いが表れていておもしろかったのですが、なんでハックルベリーなんだ?と思ったら・・・

その「ハックルベリー」がラストシーンでこんな素敵な働きをしてくれるとは、うーん、お見事。最高。
・・・ところで、な、なんですって?
  >・・・ことに、物語の最後の一行、サリーおばさんについて書かれたくだりを読んだときには。
これが、結びの言葉?
わあっ、気になる気になる気になる!本の中の登場人物のにんまり顔のその理由が知りたい!
ハックルベリー、読んだのはいつだっけ?内容ほとんど忘れています。まして、覚えているわけないよ、最後の一行に何が書いてあったかなんて。
今日は本屋さんに行こう。絶対行こう。この本の中の皆さん、待っててね。そこで和やかに笑いながら読者を置いてきぼりにするなんてずるいからねっ!