水辺にて

水辺にて―on the water/off the water水辺にて―on the water/off the water
梨木香歩
筑摩書房
★★★★


春になったらこの本を読もうと決めていました。
梨木さんのエッセイです。が、おや?・・・不思議な軽やかさ・・・同じエッセイでも「ぐるりのこと」の痛々しいまでに切実に、苦しみながらひとことひとことを大切に紡ぎだしていたあの重さに比べて、この本からは、軽やかで明るく開けた感じを受けました。

この本は、まず、
  >水辺の遊びに、こんなにも心惹かれてしまうのは、
   これは絶対、アーサー・ランサムのせいだ――長いことそう思い続けてきた。
という言葉で始まるのです。
のっけから。はっと目が覚めたような、視界が広がるような、わくわくする期待が膨らんでくるのを感じます。
そして、梨木さんは、実際この本のはじめで、本物のカヤックを購入しているのです。そして、水の上へ漕ぎ出していくのです。
なんだかくらくらしました。
梨木さんのエッセイ=「ぐるりのこと」の続き、のつもりだったから。
「ぐるりのこと」では、梨木さんの足下から近所、国、世界へ、距離も時代も思想も越えて自由自在にとび、・・・やがて、また、ちゃんと元の場所に着地していました。でも、梨木さん自身の体が動く、というより、梨木さんの意識が旅をする、という感じでした。
ところが、ここで、本物のカヤックです。「非力」といいつつ、日本全国、車の上にカヤックを積み、森や山を越えてあっちの湖、こっちの湖、ここぞと思う水のうえに漕ぎ出していくのです。自ら。
自然の声に耳を傾ける梨木さんは、今まで以上にアウトドアでアクティブな印象を受けました。まるで、「山と渓谷」社の雑誌の連載を読んでいるみたい(笑)

そして、やはり、文章がいいんです。いつのまにか梨木さんといっしょにわたしも水の上にいるような気がしてくるのですから。
水のにおいをかぎ、水の湿り気を感じ、風を感じ、あまりにうるさすぎる鳥の声に却って静けさを感じて・・・山懐の静かな湖に浮かんでいるようなそんな感じでした。
これはわたしには好ましい本でした。
今までの梨木さんも好きだったけど、そこにこの軽やかさが加わるととってもバランスがいいんです。
観念の世界に、肉体が加わったような感じがしました。

さっき、「軽やか」と書きましたが、「お手軽」な本では決して無いと思います。
時代は動き、この本の中でも、かすめるように触れられるイラクで死んだ子の話。鳥たちや湖の周りの植栽に見る人の傲慢さ、
湖の底の小学生との無言の会話。
イギリスにおいてきた思い出、変わっていく風景・・・
でも、悲しみや諦観の脇を、ケネス・グレアムの「楽しい川辺」やリンドグレーンの「マリーン」の一節が湖面を吹き抜ける風のように気持ちよくさあっとよぎっていくのです。いい具合に。

森に迷い、湖の底に沈んだ村の上にカヤックを浮かべて、天啓のように訪れる物語の始まりの声に身震いしたり、・・・
「ぐるりのこと」のきわめてきわめてきわめていく・・・の息苦しさ(あるいはあせりも)が、「解放」に向かっていくのを感じました。
何かが生まれる気配。
  >物語の予感はいつもこんな風にやってくる。
梨木さんの「ぐるり」に新たな厚みが加わったような、重石がとれたような・・・この後、梨木さんはどんな作品をわたしたちに見せてくれるのだろう、と期待して待つのです。
「わたしは物語の紡ぎ手である」という言葉に期待して待つのです。