燈火節

新編 燈火節

新編 燈火節


片山 廣子。日本に初めてアイルランド文学を翻訳、紹介した松村みね子という筆名のほうが有名なようです。
才女としての誉れよりも、よき妻よき母、よき家庭人として、明治・大正・昭和を静かに暮らそうとした片山 廣子は、ごく親しい人にさえも松村みね子としての筆名も仕事も内密にしつづけたそうです。
これは、主婦片山 廣子としての日々、生活の折々の思いを綴ったエッセイ集です。


和歌を詠み、自然の移り変わりを心に留めつつ、激動の時代を過ごし、夫、二人の子供を次々に失いながらも、諦観というよりも、彼女の宗教観からだろうか、静かに一人老いていく姿は凛々しくさえあります。


短い一章一章の美しい言葉、たおやかな感性に心を任せていると、ストレスに弱い自分が、ふっと解放されるような、心のコブコブした結び目がゆるやかにほどけていくような気持ちになるのです。
暦について書かれた文章、疎開先の近所の畑にじっと身を隠す茄子泥棒の女性を見つけた日のこと、自分は赤貧は経験したことがないが「ピンクの貧乏だ」というユーモラスな表現、昔暮らした家や庭、女学校のこと、歌人の家と知って挨拶代わりの短冊を取り次ぎの少女に差し出す大正時代の風流な客人。イエーツの詩やアラン島紀行を書いたジョン・シングへの思い・・・(アラン島紀行、いつかきっと読みたいです)


わたしは季節のめぐりについて書かれた文章に、ことに惹かれます。
  >一月 靈はまだ目がさめぬ
   二月 虹を織る
   三月 雨の中に微笑する
   四月 白と緑の衣を着る・・・
ケルトの暦だそうです。どんな言い伝えがあるのか・・・片山 廣子さんの想像も美しいのですが、この言葉たちが詩のようで意味分からなくてもこのまま好きだなあ、と私は思うのです。


巻末の梨木香歩の評論(?)「狂熱の行方」が極上品。
梨木さんによれば、与謝野晶子とほぼ同時期を生きた片山 廣子もまた狂熱の人であったと。しかし、その控えめな令夫人ぶりには、彼女の強さは全く見えないのです。では、彼女の狂熱はどこへ?・・・筆名松村みね子が引き受けていたのだということでした。
強く印象に残るエピソード。
晩年、病に伏した 廣子に、親しい友人が見舞いに行きたい旨を告げると、「お花やお金は真っ平お断りしますよ」と答えたそうです。お金は不要なものではないだけに(だからこそよけいに)受け取ることに対して彼女は身震いしたのだそうです。また、全く飾り気の無いきりりと、ひえびえとした病室に満足していた彼女はこの清潔さを豪華な見舞いの花などで汚されたくなかったのだ、ということでした。


おっとりとした随筆、受け入れの広い言葉たちの随筆を読み終わったあとでしたが、この梨木さんの解説を読みながら、それこそが本物の片山 廣子であり、松村みね子であり、この二つの名前が合わさった人なのだ、と納得できるように思いました。
それは、彼女のエッセイのなかの愛する長男を失ったあとのことが書かれたくだりを読んだときに感じたものと通じるのです。
すでに他の家族を失っていた廣子にとって、たった一人の息子。たった一人の血を分けた肉親でした。どれほどの嘆きも叫びも相応しい場面であったろうに、一切悲しみの表現はありませんでした。
そして、毅然とひとり軽井沢に疎開していったのでした。
冷たいのではないのです。ことばにはならないけれど、この人の芯に持っているものに圧倒されたのです。この場面が晩年の彼女の見舞いの品を断る言葉に重なったのでした。


燈火節とは、アイルランドの聖女ブリジッドの祝祭、カトリックでは聖母マリアの潔めの式を祝う日、とのこと。