わら屋根のある村 権正生 仲村修 訳 てらいんく ★★★★ |
「戦争が直接描かれず、その愚かさ・残酷さが力みなしにもの静かに語られていく・・・」と、アマゾンのレビューで紹介されたこの本は、朝鮮戦争下の韓国のある村を描いた本です。
わら屋根の美しい山里の村。
貧しいながらも人々は助け合い、子供たちの笑い声が弾ける村。
ある朝、学校の教室で子供たちは先生から、こんなふうに伝えられます。
朝鮮半島の地図の38度線を指し示しながら、この北側に住んでいるのも南側に住んでいるのも大韓民国の人間であることを子供たちに確認しながら、
>そうだ。同じ大韓民国の人間だ。
しかし、同じ大韓民国の人間どうしでたったいま戦争が始まった
と告げます。
始めはピンと来なかった子供たちですが、自分たちの村に空襲が始まり、村をあげての避難が始まります。
3ヶ月にわたる厳しい道。飢え、盗み。そして、死。自分たちを守ってくれるはずの国軍の兵隊たちの専横。
・・・やがて、村に戻り、休戦宣言がなされても、人々の暮らしの何もかもが変わってしまいました。そして、さらにさらに、追い討ちをかけるような苦しみを子供たちは見るのです。体験するのです。
・・・確かにこの本のなかに直接の戦争の場面は出てきません。
何も知らないうちに戦争の渦中に放り込まれ、知らないうちに殺され、引っ立てられて、家族を奪われて、・・・そんな中で、子供たちは成長していかなければなりませんでした。
この子供たちの群像。一人ひとりに対する作者のなんて暖かいまなざし。
作中人物、高在植おじさんの目で作者は子供たちを見ているように思えてなりません。
作者はこの子らを知っていたのでしょう。(名前も姿も、住んでいるところも違っても、やはり、この子達)
この子達を翻弄する運命を、作者は、どうしても書かずにいられなかったのでしょう。もっともっともっとひどいことをたくさんみてきたよ、と。作者の筆はときに、じれったそうに口ごもるように思えるのです。伝えたいことがある、伝えたいことがある、残しておきたい言葉がある・・・
北へ行き、北の人民軍に入ってしまった父を持つ南の少年。北に老いた母を残したまま南に住むことを選んだ青年。
「殺して殺して殺して、殺すことに疲れたから休戦するのか」という少女、彼女の父はわけもわからぬうちに銃殺されました。
子供たちは考えます。
北の人間は悪いのか。
ソ連やアメリカが悪いのか。
資本主義や社会主義といったイデオロギーの違いでなぜ人間を分類するのか。
何よりも同じ民族どうしが、ときに父と子が、なぜ殺しあわなければいけないのか。
子供たちは、それぞれの立場で、それぞれの方法で考え、自分の道を歩いていくのです。
>死ぬ人間は死んでも、生きられる人間は生きなきゃならん。
先になくなったおいらたちのおじいさん、おばあさんもたくさんの苦しみに耐えて生きてきたのに、
おいらたちもがまんしなきゃ。
華順。お前の家の天井の梁や垂木を一度見てみろ。
少なくても百年、二百年たっているだろう。
あの家を建てるときはみんな素手で建てたんじゃ。梁も垂木も柱もみんな丸太そのものじゃ。
土と石とわらの鳥の巣のような家でも、数百年びくともしないでたえてきた。
おいらはそんなおいらの家が好きじゃ。
朝鮮戦争。
そのわずか数年前まで日本によって植民地支配されていた国。
朝鮮戦争のさなか、わたしたちの日本は「朝鮮特需」という言葉のもとに、戦後の経済を復興させたのでした。
100万もの人々の死、鐘甲や福植たちのような子供たちの犠牲の上に、経済を発展させたのでした。
忘れてはいけないと思います。