機関銃要塞の少年たち

hon機関銃要塞の少年たち
ロバート・ウェストール
越智道雄 訳
評論社
★★★★★


第二次大戦下のイギリス、海辺の小さな町ガーマス。
毎日ナチス空爆にさらされながら、チャスたちグラマースクールの少年たちは、敵機の破片や薬莢を集め、互いのコレクションを自慢しあっていた。
それは、ごっこ遊びのようなもの。どこの土地でもどこの時代でも、子供たちの遊びは常に時代を映してきたはずです。それは時に時代のバカさ加減を反映していたりして・・・
このようにして物語は始まったのでした。少年たちの「ごっこ遊び」――半ば以上本気の愛国心から・・・

戦時下の都市で本来弱い立場の子供たち。子供たちの弱さ故の悲惨さを描く反戦小説に慣れた目に、この物語はどんなに衝撃的であることか。
チャスたち五人のなんというしたたかさ。なんと生き生きとしていることか。
空襲警報が響き渡り、翌日にはよく知っている人が死んでいる・・・そんな緊迫した事態が当たり前の生活の中、彼らは街路を縫って塀を渡り、川を飛び越えて、駆け回ります。
平和な時代の子供とどこが違うというのか。先生や巡査を出し抜き、いじめが横行し、けんかしたり、こずるく大人の目をくらませて立ち回る。必要とあれば、時には万引きだってするけれど、彼らのなかにふつふつと愛国心がわきたっている。自分のこの手で敵を倒すのだ、と。
それはきれいごとではない、彼らの少年らしい一途さに、現代に生きるわたしはどきっとするのですが・・・

そんなときに現れた敵兵(少年たちの捕虜)ルーディ。
イギリスの少年たちとドイツ兵とのあいだに芽生えていく友情。
物語中、最も美しい場面です。
ここで、この戦争がなんとばかばかしく感じられることでしょう。
ルーディも少年たちも自国に忠誠を誓いながら、友情に対しても誠実であろうとする。
あっさりと言葉少なに描かれた場面場面が、頭のなかでリアルな映像を結びます。
決して反戦の言葉がこの作品のなかで描かれることが無いにもかかわらず、ばかげた戦争、その茶番騒ぎに、人間の愚かさを見るのです。
愚かさといえば、大人たち。
読者としては、苦く涙をにじませながら、情けない大人たちの愚行に怒りながら、
でも、この大人たちだって少年だった頃があったのだ、と思わずにいられないのです。
そして、チャスたちもまた、実は大人の雛形であることを思うのです。・・・チャスたちのやったことは大人社会の縮図である、という点で。ただ、知恵の使い方が大人よりずっと一途であるということ。
彼らの一途さに感動しつつも、同時に、その一途さに大きな危険を感じ、ぞっとするのです。

少年たちが武器を集めるのをやめる日は来るのでしょうか。