わたしを離さないで

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)わたしを離さないで
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
早川書房
★★★★


巻末の柴田元幸さんの解説より
  >…内容をもう少し具体的に述べるのが解説の常道だろう。
   だがこの作品の場合、それは避けたい。
   なぜならこの小説は、ごく控え目に言ってもものすごく変わった小説であり、
   作品世界を成り立たせている要素一つひとつを、読者が自分で発見するべきだと思うからだ。
この本を読み終えた今、つくづくと同感です。何も知らない、まっさらなままでこの本を読めてよかったです。
ちなみに、アマゾンのこの作品に寄せられたカスタマーレビューはかなり内容に触れていると思います。
読む前にそれを言わないでほしい・・・。
これから読まれる方はご注意ください。



この本の前にカズオ・イシグロ作品は、「日の名残り」を読んでいます。
今思えば、あの本の中で執事のスティーブンスは、「過去」に縛られていました。
この本の主人公キャシーは「未来」に縛られています。
縛られている、というよりも、自分の魂の大切な部分を「そこ」に奪われている、といったほうがいいかもしれません。
どちらも奪われたものを探す旅(多分に追想の中で)の物語であり、ある意味、良く似ているように思うのです。


主人公キャシーの追想は、彼女が子供時代を過ごしたへールシャムという寄宿学校から始まります。
美しい校舎、秘密の隠れ家、生徒たちを温かく見守り育てる教師、そして友人関係のあれこれ。
友人、とくにキャシーの友人ルースとトミーとの微妙な気持ちの揺れ、関係、について書かれています。
それはある意味甘美であり、共感できることばかりであり、
思春期特有の、自分にも(きっとだれもが)覚えのある感情ではないでしょうか。
懐かしく、はらはらし、どきどきし、痛ましく思い、切なくなったりします。
それはとても普通のことでした。
あまりにふつうのことだから、むしろ「?」と感じてしまいます。
何かおかしい。何かが違っている。何かがずれている。
それがわからないから、苦しいのです。この甘美な過去が不気味なのです。
そして、さらにそれだからこそ、主人公の心の気高さのようなもの、誠実な生き方がきわだち、
読後、ずっしりと重い何かを残されるように感じるのです。


多くを語ることはできません。
いえ、「ネタばれにご注意ください」としたうえで書くことはできるかもしれません。でも書きたくない。
その言葉――キイワード――を今ここに記したくないのです。
だって、この本のほんとうのよさはその言葉が示す重みではありません。
そちらに意識を向けたら、別の小説になってしまうんじゃないか、と思います。
でも、それを無視することはできないのです、奇妙な物語ではありますが・・・


この本、下手すると「きわもの」に近い設定かもしれません。
だけど、この物語を読みながら、次々に明らかにされる事実に憤ったり、やり場のないむなしさに襲われたりしながら、
それでも最終的にたどり着く思いは、人としての尊厳・・・感動というよりも、ずっしりと重たい何か。
この思いをどう表現したらいいのか・・・とにかくとても骨太の物語を読んだ、と思うのです。
それもとても美しい表現に満たされながら、
苦い思いも、やり場のない怒りのようなものも、そして、それを乗り越える崇高さも、みんなまとめて抱えていたいのです。