絵描きの植田さん

絵描きの植田さん (新潮文庫)絵描きの植田さん
いしいしんじ
植田真 絵
新潮文庫
★★★★

真っ白な雪。ほとんど色のない世界。そして音のない世界。
とてもとても静かです。
死と生の境界を思わせるような・・・あちら側とこちら側。

好きなのは、少女メリが植田さんのファイルの草木、虫、鳥の絵を見ながら、そのすべての名前をえんぴつで書いていくところ。
絵と、文字による名前が、静けさの中で、繋がっていく。美しい調和。

人物を決して描かない植田さんは樹氷をスケッチする。冷たい氷の下に何を見ていたのか。
そのユーモラスな姿は決して冷たいものではないはず・・・それだけに怖い気もします。
植田さんの静かな微笑みも、却って不安になるときがあるのです。

あやうくあちら側の世界に引きずり込まれそうになるのをひきもどすような村のお祭りのシーン。
命が燃え立つ生の世界からの引っ張り。

あちら側こちら側、あちら側こちら側、と揺れ動く画面のように目の前に現れて消えて、、でもそれはいつでもしんとした境界の世界。植田さんはそこにいます。メリたち親子もそこにいる。
この世界の静けさは、まるであちらとこちらとどちらに近いのか秤にかけているような気にさせられます。
オシダさんはこちら側、あきらかに生の世界にいる。
で、樹氷はきっと死の世界にいる。
その両方が見える淵にすわって、自分はどちらに近いのだろうか、と考える場所がここなのでは?

静かに続く色のない世界では、起こる悲劇も、人々の悲しみも静かで、真っ白な世界にすいこまれていくよう。
実際、ここにとどまりすぎるときっとどちらかの世界から強い力が引きずっていこうとして襲ってくるのかもしれない。

  *ちょっと書きすぎちゃいました。これから読まれる方はこのさきは読まないほうがいいです*




そこにいきなり現れた11葉の絵に、はっと息を呑むのです。
この絵は最初に見てしまってはいけない。
せまいくねくねした山道をひたすらひたすら歩きに歩いて、ふと顔をあげたとき、そこに開けた思いがけない景色に驚く、そんな感じ。
色のない世界に無数の色が舞い降りた。あっというまに物語が色に染まった。

この本は文字と絵と両方で描かれた絵であり、小説であり。どちらも絶対に必要なもの。

それから、これは・・・
わたしの勝手な思いなのですが、文庫139ページで終わりにしてもよかったかな。このあとの十数ページは(わたしとしては)ないほうがいいです。
この後に起こったいくつかのうれしいことも、いつか来るかもしれないこと、のままで終わってもよかった。いや、きっとよいことがおこるはず、と信じられるもの。もうそこはどこかの淵じゃないから。
メリのこの言葉で終わってほしかった。この言葉だけでわたしには充分。
  >私たち、こんなすばらしい世界に住んでるのよ!