日の名残り

日の名残り (ハヤカワepi文庫)日の名残り
カズオ・イシグロ
土屋政雄 訳
早川書房
★★★★


ダーリントン・ホールという屋敷の執事スティーブンスは、現在仕えている主人から勧められて、主人のフォードに乗って初めて7日間の自動車旅行に出かける。
その旅行のあいだに、スティーブンスは、これまでのダーリントン・ホールでのさまざまな出来事や、長く仕えた主人ダーリントン卿のこと、執事として生きてきた自分の半生を振り返る・・・

物語はスティーブンスによって語られる独白です。
そしてそのほとんどは過去の回想です。
ダーリントン卿とともにあったお屋敷の栄光の日々、かげり、そして、挫折へと向かいます。
控えめに静かにそして丁寧に語られる文章から過去の日々が鮮やかに浮かび上がってきます。

スティーブンスは執事としての自分の仕事に誇りを持ち、常に執事としての「品格」、ひいては人間としての誠実さ真摯さを追求しつづけてきました。
静かで穏やかな品がある文章。そしてスティーブンスの口を借りつつ、とぼけたユーモアがあちこちにちりばめられた文章。(ステーブンスのミスター・イシアタマぶりには思わず微笑んでしまいます。)

丁寧に描写されたスティーブンスの回想、独白。でも、実は、彼のほんとうの心のうちが、まっすぐに描かれることはほとんどありません。物語の中のだれかとの関係や会話、態度などから、ほんとうはこうだったのではないか、とうすうすと感じられるように描かれているのです。
ダーリントン卿を思う名付け子の気持ち、ダーリントン卿への思い。
スティーブンスの父の気持ちと息子としての彼の思い。
すべてが過ぎ去った日々の追想のなかでなんて美しくせつないことか。

特に女中頭ミス・ケントンとの関係。
ミス・ケントンの気持ちは、間接的ながらもただちに知れるはずなのに、このミスター・イシアタマときたら・・・
いえ、彼自身もほんとうは・・・
彼のほんとうの気持ちを自分自身にさえも隠そうとして生きてきたスティーブンス、その品格と誠実さに隠しながら生きてきた何十年間もの日々。
最後までそれに気づかない(つもりの)彼だったから、最後の場面の美しさ、その余韻に、心動かされるのです。

わたしたちは、「あのときこうしていれば・・・」「あのとき、ああしなければ・・・」と振り返って唇をかむこともあるけれど、でもほんとうに違う選択肢を選んでいたら今の自分の人生の何かが変っていたのでしょうか・・・
不思議なもので、選んだものよりも捨ててきたもののほうが価値あることのように思うことがしばしばあります。だけど、結局どこかで折り合いをつけていくのでしょう。
捨てた選択肢も選んだ選択肢も、結局は同じところに帰結していくのかもしれません。だって、どちらも「わたし」なんだもの。

  >夕方こそ一日で一番いい時間だ

この本のタイトル「日の名残り(=“The Remains Of The Day”)、この本の内容にふさわしく、しかもなんという美しいタイトルだろう。