そのぬくもりはきえない

Nukumori
そのぬくもりはきえない
岩瀬成子
偕成社
★★★★


波が隣の席の子の机の中にカマキリの死骸を入れたことは純粋な好意でした。
だけど、それを伝える術を波は知らない。
人の感受性はさまざま、鋭いとか緩やかとかというだけではなくて・・・子供の内面の繊細さが、文章からにじみ出てくるようです。少女が外部に感じる摩擦も、母親と祖母との微妙な関係も、またお年寄りと子供の距離の近さも・・・

しかも決して饒舌ではない、むしろ押さえ、静かに、ほとんど寡黙なまでの文章は、ぴんと張り詰めて、少女の心の息苦しさを際立たせているように思います。

脇役に配された子供たち、よかったです。地味ながら波を好意的にみつめる友恵ちゃん、たくましい真麻ちゃん。そしておにいちゃん。決して多くはないけれど、ありのままの姿を受け入れ、黙って見守ってくれる友人がいるのは幸せ。
ハルの飼い主の高島さんとの距離が縮まっていく間合いもよかったです。お年寄りと子供の関係をとても素敵に書く人だな、というのは以前読んだ「となりのこども」でも感じたことでした。

このあいた読んだカニグズバーグの「13歳の沈黙」にも通じるけれど、ほとんどマニュアル通りの素晴らしい親って、子供にはどんなにかつらいだろう。
そつがなく、何事も完璧で、落ち度などない、不満に思う余地さえない。
親の愚かさを笑うこともできないなんて、どんなに息がつまることだろうか。

「ひみつ」を持てる、ということがやはり子供の成長には必要なんだろう。
ひみつ、だけではなく、これだけの思い切ったことを波、よくやったね、といいたい。小学4年生だよ? いや、そこまで追い詰めた大人が痛い。
自分を自分で認められたこと、まわりに(特に母に)認めさせたこと、波のためにうれしかったけど、
このおかあさんだって傷ついている。自分の親との関係で。だから、だから、なのに・・・
ああ、親子って、しょうもないなあ。愛して愛して、傷つけあって。
母親としてのわたしは、落ち込むのでした。・・・わたし、こんなふうに子供を管理しているかしら、ああ、こういうことをわたしは言っているかも知れない、いや、やってるし、普通に。
  >「わかってる、波の気持ちはわかってる。いやだなあって思うことあるよね。
    わかってる、でもね
・・・痛かったです。

二階でのできごと・・・その光景のなんと優しく温かいこと。
なぞめいた朝夫のことが気になり、引き込まれ、ひたすら追いかけて読みました。
だけどなぜ、波は朝夫と出会ったんでしょう。
外部(母、友人関係)との軋轢に閉じ込められた心が、ぎりぎりまで追い詰められ、ふっと向こう側へ跳んだ?
いや、向こう側からも手をのばしていたんだね。同じ思いが。
ぎりぎりの叫びと叫びが手を伸ばしあって、その手をつかんだようでした。
ちょっとせつないけど、あのノートに最後に言葉を記すところがとても好き。
波の心の解放(といっていいですよね)がここから始まったように、朝夫もここから自分を肯定できるようになっていったんじゃないかな。

この物語のタイトルは「そのぬくもりはきえない」
そう、ぬくもり・・・それがあるから子供は(大人も)ひとり立ちできる。
朝夫もそれがあったから今があるはず。
朝夫は覚えているかな、10歳の日の二階を。また、二人きりの秘密の冒険を。
忘れてしまっているかもしれない、それでもいい、と思う。だって、忘れようとしても決して忘れられないものがちゃんと根っこに残っている。
波、あなたも・・・いつか遠い記憶になっていくかもしれない。そんなことがあったかどうかも定かではない、と思い始めて、その記憶はどこか遠いところに押しやられていくのかもしれない。
それでもやはり、消えないで残るものがあるはず。彼女を自分で歩き出させる原動力みたいなもの。
そう、そのぬくもりは決して消えることはない。ずっとずっと。