遊んで、遊んで、遊びました

Asonnde
遊んで、遊んで、遊びましたリンドグレーンからの贈りもの〜
ジャスティーン・ユンググレーン 著
うらたあつこ 訳
ラトルズ
★★★★


今年はリンドグレーン生誕100年目の年。だから、今年中にこの本を読もうと決めていたんです。
一番最後の月にやっとこの本を手にすることになりました。

それにしてもこの表紙の写真! 木登りしているおばあさんですよ。そしてタイトルは「遊んで、遊んで、遊びました」ですもの。
もうこれだけで、この本の内容の大半を読みつくしたような気持ちになります。

84歳にして、
「人生で一番楽しかったのは子ども時代」というリンドグレーンさん。
彼女の作品のいきいきとした子どもたちは、そのまま子どものときの彼女自身でした。
なんとたくさんの喜びに満ちた輝ける子ども時代。
ピッピのように、カッレくんのように、やかまし村のリーサのように彼女は毎日を遊び倒していたのでした。
そして、彼女を取り巻く大人たちのおおらかで温かいまなざし。
彼女の作品が生まれる要素は幸福な子ども時代に作られていたのでした。

この本の中で、リンドグレーンの住んだ家や土地のようす、友人兄弟家族について語られるのを見れば、みんな覚えのあるエピソードばかりです。〈著者もそれを意識して、これはどの本の何処に描かれていた場所、とか、どの作品のだれそれはこの人がモデルだったと書かれています)
自分や子どもたちが親しんだ本の中の場所や人々、事件がほとんど実際の出来事であったことを知り、わくわくと嬉しくなってしまいました。そして、こんな子ども時代を過ごすことができたリンドグレーンをひたすら羨望のまなざしでみつめてしまいます。

わたしはカッレくんが大好きでした。
白夜の街をはだしで駆け回る子どもたちに胸が痛いほど憧れました。
わが子二人には、せがまれて「やかまし村」のシリーズを何回繰り返し読み聞かせたことか。
かまし村に住んで、リーサたちのように毎日を過ごしたいと子どもたちは強く望んでいました。

そういうことって、皆が思うことのようです。あの時代の子どもだったら、とか、あの街に住めたら、とか。
それに対して、リンドグレーンは言います。
  >どんな子ども時代を過ごしていようと、
   子どもには、それを想像力で彩ることができる類まれな力があります。

リンドグレーンは母親になってもなお子どもと思いっきり遊ぶおかあさんでした。
でも、ただ子どもの心を忘れない、というのではなくて、彼女には「子ども時代はこうあるべき」というしっかりした信念があったのでした。
子どもを守り育てつつ子ども心を持った大人でいるということは、そんなにふわふわと甘いものではなく、自分を律する厳しい信念が必要でした。

そして、「昔はよかった、現在の子どもたちはかわいそうだ」などと嘆くことは、もしかしたら逃げているのかもしれません。嘆いても現実は変わらないし、あともどりもできないのですもの。それに、当の子どもは自分たちを可愛そうだなどと思っているものですか。
「子どもには、それを想像力で彩ることができる類まれな力があります」というリンドグレーンの言葉を頼りに、どんな場所でも、その想像力を思い切り羽ばたかせることができるように育てたいものです。
願わくば、わが子たちも何十年か後に「わたしの子ども時代は最高に楽しかった」と言ってくれたら。彼女たちの子ども時代はもう過ぎてしまったけれど。〈親のわたしは、子どもである彼女たちと過ごした日々は最高に楽しかった)
   
子ども時代をいきいきとした想像力で彩ることができるように、子どもたちの毎日が幸福であるように、私たち大人は気を配らなければならないと思います。
そして、それができる大人は、自分もまた幸福な子ども時代を忘れていないのでしょう、リンドグレーンと彼女の両親のように。
さらに、大人になっても、子どもの輝きをなくさなければ、子どもの本を書く人になるのかもしれません〈笑)
いいえ、子どもの本を書けなくても、ほがらかに日々を生きていく大人でいられたら、と思います。
こんなタイトルとこんな写真で飾られた本で、自分の人生や創作について語られるって最高ですね。この表紙、とても好きです。