豚の死なない日

Buta
豚の死なない日
ロバート・ニュートン・ペック
金原瑞人 訳
白水社
★★★★★


タイトルの「豚の死なない日」というのは、そういう意味だったのか、と読み終えて、しみじみと表紙を見直したのでした。

ロバート・ペック、12歳の一年間を描いた自伝的小説。
父はヴァーモント州ラーニングで豚を殺すことを生業とする農夫。厚い信仰心を持ったシェーカー教の信徒でした。
ロバートは、この質実で心豊かな父と、聡明で優しい母、よき隣人たちに囲まれて、さまざまなことを学び、経験して大人になっていきます。

ロバートの父の質実で豊かな生き方は、現在の社会では、そのまま受け入れられないとは思うのです。
それでも、その大きな叡智に、はっとします。そして、自分の生き方について、もう一度ゆっくりと考え直したくなるのです。

ロバートの父は文字の読み書きができません。・・・文盲、という言葉から、以前読んだベルンハルト・シュリンクの「朗読者」やアガタ・クリストフ自伝「文盲」を思い出すのです。
シュリンクもクリストフもまったく別の意味で「文盲」という言葉を使っていますが、共通の認識は「読み書きのできないことの惨めさ、恥ずかしさ」ではなかったでしょうか。
でも、ロバートのお父さんは言うのです。
  >・・・読み書きができないと、頭が弱いと思われる。
   たとえしっかりした人間だということがはっきりしていてもな。
   ・・・・・
   わしは自分の名前を書けない。
   そういう連中〈読み書きできないことを馬鹿にする人たち)はわしが納屋を作るとき、
   どんなに正確に梁を渡すことができるか、
   どんなにまっすぐにトウモロコシ畑の畝を作るか、みえないんだ。
   ・・・・・・
悲しくならない?とたずねるロバートに、
  >いや。わしはわしだ。
   わしらはつましい生き方を選んだ。
   ・・・・・・
   あれがほしい、これがほしいと悩むこともない。悲しくなんかないさ。
   わしらは豊かな生き方をしている。貧しいのはむこうのほうだ。
そして、豊かさとはどういうものか、話して聞かせるのでした。この誇り高い言葉。

わたしの大好きな絵本バーバラ・クーニーの「にぐるまひいて」を思い出しました。質実で勤勉で、心優しく豊かな生活。
働くこと、生活すること、良い仕事をすること、良く生きるということ。本当に豊かであるということ。自分の生き方に誇りを持つこと。
「豊かさ」・・・この豊かさの意味は深いです。
泣きながら、血を吐くようなおもいをしながらも、乗り越えなければならないこと、やらなければならないことがあることを、ロバートは父から学びます。
子どもを真に一人前にしようとする父親のものすごく大きな愛に打たれるのです。言葉もなくしてしまうほど。
  >これが大人になるということだ。やらなければならないことをやるということだ。

息子に、一冬で大人になれ、というおとうさん。
自分は読み書きできないけれど〈恥じてもいないけれど)、息子には学校へ行けというおとうさん。
その言葉の真意を知り、胸がふさがれるような気持ちになるのですが、息子は父の思いをしっかり受け止めます。そのりんとしたけなげさに、ここで涙なんか流せないぞ、と思うのでした。
爽やかなその朝に、しっかりとした手で卵を集め、落ち着いて牛を荷馬車につないで出かけます。感傷はここには入る隙間がありません。黙ってわたしもついていくのです。この静かな文章に。

温かなユーモアに満ちた優しい語り口の本。おおきな愛と豊かさに満ちた本。
すがすがしい静けさのうちに本を閉じて、あとからゆっくりとかみしめたい思いがあります。
うまく感想がかけないのですが、この本に出会えてよかった、この本に感謝したい、と思っています。
「豚の死なない日」というのは、そういう意味でした・・・